第4章戦時下の苦難(1938~1945年)

あらすじ

日中戦争に伴う経済・産業の統制開始と太平洋戦争により、事業は大きな打撃を受ける。1938年以降、輸入原料は途絶えぎみとなり、燃料は不足。
さらに従業員は兵役に狩り出され、生産は縮小の一途をたどる。売れる商品も少なくなり、内外の販売拠点は廃止・統合をせざるを得なくなる。
また、戦時体制により、社名の変更や軍需物資の生産を強いられ、九州には発酵による航空機燃料の製造工場を建設。太平洋戦争は終戦を迎えるも、川崎・横浜・佐賀の各工場は戦争により被災。中国の4工場はすべて接収され、京橋の本店ビルもGHQに接収されてしまう。

写真「味の素」定価表
写真1937年頃のアメリカ向けポスター
1930年代、ニューヨーク・ロサンゼルス・シカゴの出張所より
積極的なマーケティング活動を展開
写真工業総合工程図
写真大日本化学工業への社名変更を発表する社報記事
(1943年、戦時体制により)
写真川崎工場戦災状況図(斜線が全・半壊部分)

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