第3章成長軌道(1931~1937年)

あらすじ

1931年、第2代社長に忠治が就任すると、「製造技術の全面的改革と関連商品の開発」とのあらたな経営方針の下、さらなる量産、製造費の削減を目指し、原料を安価な大豆へ転換。原料転換に伴い副産される原料を使用して、製油会社、酒造会社などを立ち上げ、多角化も推し進めていく。
国内では、各地で販売協力会社と「味の素会」を立ち上げ、より安い価格への改訂を続け、売上げは伸びていく。海外では、アメリカの缶スープなどの加工食品メーカーが「味の素」の内外の販売好調に応えるため、満州に川崎工場よりも大きな工場の建設を開始する。

写真耐酸分解釜「エスサン釜」
この導入が、原料として価格の安い脱脂大豆を使用可能とした
写真副産物を有効利用した商品のひとつ、「エスサン肥料」
写真韓国での宣伝活動
写真上海の街頭に飾られたペンキ絵の大看板
写真ニューヨーク鈴木商店の株券

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