序章生産開始への道(~1908年)

あらすじ

1888年、葉山の海岸で未亡人の鈴木ナカが、化学の知識が無いながらも家計の足しにと海草からヨードを取り出す試みからこの物語は始まる。後にナカの長男二代鈴木三郎助、次男の鈴木忠治が加わり、鈴木製薬所は徐々に家内工業から近代的な化学薬品事業へと脱皮していく。一方、1899年、当時帝国大学理科大学の助教授であった池田菊苗博士は、最先端の物理学を学ぶためドイツに留学すると、ドイツ人の体格と栄養状態の良さに驚き、「日本人の栄養状態を改善したい」と強く願うようになる。

写真鈴木ナカ
写真二代鈴木三郎助
(青年時代)
写真鈴木忠治
(青年時代)
写真ヨード製造当時の葉山工場

帰国後、池田博士は、昆布だしを味わう内に、4つの基本味である甘味、塩味、酸味、苦味とは違う、もうひとつの味があることを確信。研究を重ねた末、1908年、ついに昆布だしの味の成分がグルタミン酸というアミノ酸の一種であることを発見し、この味を「うま味」を命名する。そして、グルタミン酸を原料としたうま味調味料の製造方法を発明し、特許を取得すると、当時化学薬品工業界では著名となっていた二代鈴木三郎助に事業化を依頼。忠治が製造技術面を、二代三郎助の長男、三郎も販売面を受け持ち、1909年5月、「味の素」と名付けた調味料を満を持して世に送り出す。

写真池田菊苗
写真グルタミン酸塩に関する特許証證
写真具留多味酸(グルタミン酸)の瓶

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