interview

走高跳
衛藤昂選手
× ビクトリープロジェクト
西川健一
インタビュー

日ずつ。㎜ずつ。
㎝ずつ。

日ずつ。㎜ずつ。㎝ずつ。

味の素㈱社員が、アスリートたちの栄養サポートを行うビクトリープロジェクト®。このビクトリートークは、プロジェクトメンバーと、彼らが担当する選手によるトークセッションです。毎回、選手それぞれのカラダづくりやトレーニング、食事や栄養のアドバイスなど、普段の生活にも応用できそうな内容を盛りだくさんでお届けします。今回登場するのは走高跳の衛藤選手と、2018年から彼のサポートを続けている西川健一。衛藤選手は自ら決して陸上のエリートではなかったといいます。ではなぜ走高跳を始めたのか。そしてどんな身体が走高跳に適しているのか。そのためにどんな栄養が必要なのか。これまでの人の取り組みと、その集大成となる東京2020オリンピックでの目標が語られました。

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本当は走りたかった。
結果は走高跳だった。

本当は
走りたかった。
結果は
走高跳だった。

衛藤選手の家は、陸上一家なんですよね。

父は走幅跳と三段跳、母は長距離走。祖父はやり投と棒高跳……それに走高跳もやっていたとか。

陸上競技を始めたのも、自然な流れですね。

そうですね。それに自宅のすぐ近くの国道23号線が大学の駅伝のコースなんですよ。毎年沿道で応援していたので「いつかは長距離選手か、マラソン選手になりたい」と思っていました。

小さい頃、走るのは速かったですか?

通っていた小学校内では長距離走で3番くらいでしたが、鈴鹿市の大会に出るとやっぱり速い人がいまして。小学校5、6年生の頃が、陸上競技の最初の壁でした。

では、中学校で走高跳と出会った?

実は小学校の最後の大会で走高跳に出場して、優勝したんですよね。記録は130センチ。

そのとき「自分がやる競技はこれだ!」みたいな感覚はありましたか?

競技種目との出合いって、選手によっては「雷に打たれたような感覚」と言う人もいますけど。中学校で初めて出場した種目は、100メートルです。でも遅かった。走幅跳やハードルも今一つ(笑)。やはり走高跳かと。

それが走高跳との出会いの“正直なところ”ですか(笑)。

結局、中学校3年間での記録は1メートル71センチ。当時の全国大会の参加標準記録が1メートル86センチでしたから、かすりもしませんでした(笑)。

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シューズ職人か。
ハイジャンパーか。

中学校卒業後は鈴鹿工業高専に進みましたよね。決して陸上競技の強い学校とは言えませんが……。

靴(スポーツシューズ)作りの職人になりたかったんですよ。だから高専の材料工学科を選びました。アテネ2004オリンピックで三重県出身のマラソン選手が金メダルを獲ったとき、シューズ職人の方が話題になったので。ただ実際入学してみると、いつまでたっても靴作りの勉強が始まらない(笑)。

そうなんですね(笑)。競技も続けていたんですよね?

はい。高専のときにかなり身長が伸びて。中学卒業時は168センチでしたが、高2で181センチに。その頃は試合で跳ぶたびに自己記録更新、みたいな感じでした。

競技に重心を置くか、靴作りの勉強に重心を置くか。衛藤選手が「走高跳一本で世界と戦っていく」と決心したのは、この頃ですか?

まだまだ先です(笑)。卒業後、筑波大学大学院(人間総合科学研究科)の体育学専攻に進みました。筑波のバイオメカニクスといえば国内トップクラスなので、スパイクの研究ができるかも!と。そしてついに、スポーツメーカーに勤めていたOBの方と共同研究という形で実現しました。自分自身が被験者になり、試作品のスパイクを履いて三次元解析するという。

やっとでしたね。

ちょうどこの頃、競技の方でも、結果を出すことができたんです。2014年、大学院2年生のときに2メートル28センチを跳びました。その数字はちょうど、北京2008オリンピックとロンドン2012オリンピックの、参加標準記録。ようやく「世界と戦えるかもしれない」と思いました。

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あきらめられなかった、
あと㎝の壁。

あきらめられ
なかった、
あと㎝の壁。

競技を続けられる環境に身を置くことに考えをシフトして、2015年にAGF鈴鹿㈱に入社。これもやはり地元ですね。

ええ、自宅から自転車で10分です(笑)。競技としての大きなターゲットは、やはりリオ2016オリンピックでした。

今、振り返ってみて、どうですか?

結果は予選落ち。「オリンピック出場のためにすべてのエネルギーを使ってしまった」と思います。6月の最終選考で「2メートル29センチを跳んで優勝しなければならない」という状況に追い込まれてしまった。結果Wで達成できたのですが、その時点で体力も気力も使い果たしてしまったんですね。

リオ2016オリンピックの現地で、インタビュアーの方に「次の東京2020オリンピックに向けての意気込みを教えてください」と聞かれて、何も答えられなかった。いや、正確には何かコメントしたかもしれませんが、覚えていないんです。

でも結局、競技としての走高跳を継続しましたね。

その時点で、やめたくない理由がひとつだけありました。それは2メートル30センチを跳びたいという“気持ち”です。自己ベストは2メートル29センチ。でもここまできたらあと1センチ、2メートル30センチの大台に乗せたい。それは日本のなかで一流選手と呼ばれる数字です。その数値を新たな課題として設定して、改めて走高跳を継続するスタートを切りました。

衛藤選手と最初に出会ったのは、2018年のインドネシアのジャカルタで行われた大会でしたね。現地では水は飲めない、食事も厳しい、蚊も多い、そもそも蒸し暑い。約2週間の大会なのですが、ちょっとつらかった(笑)。

そんなつらい状況のなかで(笑)、日本代表選手団の選手村内宿泊棟で会いました。西川さんも日本代表選手団のサポートを現地で行っていましたね。

そのとき、衛藤選手が東京に拠点を移すと聞いて、本格的にサポートしたいと思ったんです。

西川さんは昔板橋区に住まわれていたそうで、「板橋区ならこのあたりがいい」なんて住まいのアドバイスまでもらいました。練習拠点となる味の素ナショナルトレーニングセンターに近いので。今では“東京でのお兄さん”みたいな感じです。

東京を拠点にした当初、新しい環境に戸惑っているようにも感じました。なので、「板橋のスーパーならここが安いよ」とか「日用品を買うならあそこが便利」といった話も(笑)。栄養や食事のこともそうですが、少しでも環境や精神的部分のストレスを緩和できたらいいなと思いました。

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コンディションは、
目で見ることができる。

コンディションは、
目で見ることが
できる。

8月のアジアでの大会が終わったあと、衛藤選手が東京に拠点を移してから最初のミーティングをしました。確か9月の中旬です。すごいなと思ったのは、衛藤選手がパワーポイントで作ったトレーニングのスケジュール表。一週間の練習メニューがきっちりと記載されていました。印象に残っているのは、「練習量が多いとコンディショニングが重要になる」と話していたこと。そこで今一度アミノ酸摂取の方法と、補食のとり方について話をしました。

練習後にアミノ酸を飲むことは知っていたのですが、練習30分前にも飲んで、“コンディションを維持することに繋がる”という概念は頭になかったので、勉強になりました。練習の最後にトラックを1周ジョギングするんです。クールダウンで。アミノ酸を入れておくことで、きっちり走って練習を終えることができるようになりました。

継続的に栄養面でのサポートに取り組むため、まずは基本となる体組成の計測をお願いしました。毎朝体重と体脂肪量を測って、1週間分のデータをメールで送ってもらい、データを蓄積していく。これは今も続いています。言葉にするのは簡単ですが、実際はなかなか大変なことだと思います。

でも習慣になってしまえばそれほどつらいと思わない性格なんです。冬の朝などは下着一枚で「寒いなあ」とは思いますが(笑)。

(笑)衛藤選手には、感覚ではなく、データとして「見える」ことが大事だと考えました。大学院で研究までされていた理系の思考回路や1週間の練習メニューをきっちり立てる計画性。数字としてコンディションやその変化を把握してもらう方が、継続的に取り組みやすくなると考えました。

普段の食事についても、栄養バランスに気を配るようになりましたね。主食、主菜、副菜、汁物、乳製品という5つの輪を意識する。これも体組成の計測と同様で、論理的にルール化されると続けやすい。そしてもう一つ、体組成のデータと栄養面からわかったことは、「海外遠征は2週間を越えないほうがいい」ということでした。

実際、そこは明らかにデータが変化するんです。日本で活動しているときの衛藤選手の体組成はきわめて安定しています。でも海外、それも時差の多い場所に行ったときほど体組成にブレが生じるんです。

でも海外に行かないわけにはいきません。海外の試合でポイントを稼ぐことができるので。

シーズンが始まって海外での転戦が続くにつれて、除脂肪体重が少しずつ減っていく。おそらくカラダのエネルギーが徐々に失われていって、最後のほうは気力で戦っている状態ではないだろうかと思わせるグラフになっていたんです。

一度海外でもミーティングしましたよね。チェコのフストピースだったと思いますが「緯度が変わると体重が落ちるんですかね」なんて(笑)。

そんなはずはないんです(笑)。ヨーロッパでの食事はどうしても肉類が多くなる。料理も日本に比べて単調なので、気付かないうちに食事量も減ってくる。ひとつの手段ですが、日本からカップスープを持っていくとか、バナナやオレンジなどの果物をとることでエネルギー補給をしてはどうか、などのアドバイスをしました。衛藤選手は筋道を理解して地道に課題に取り組める人。アドバイスを自分で咀嚼しながら、“海外遠征慣れ”を実現しつつあると思っています。

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たんぱく質で
バランスの取れた
筋肉づくり。

「走高跳に適したカラダ」でいうと、理論的には高身長で重心の位置が高いほどいいし、細身のほうがいいですね。ある意味「自分を吹っ飛ばす」競技なので、飛ばすものは軽いほうがいい。

「吹っ飛ばす」ためには、パワーも必要ですよね。

踏み切りのパワーは重要です。筋肉は太くなければパワーが出ないというのが定説。でも、筋肉は重いので、できるだけ太くせず、出力を高めたい。さらに踏み切りには、体重の10倍の負荷がかかると言われています。その負荷に耐える強さも欲しい。それが走高跳に向いた筋肉なのではないかと考えています。

負荷に耐える強さ。瞬間的なパワー。さらに太くなりすぎない筋肉。実に難しいバランスです。まずはその筋肉をつくるために、これまで以上に多くのたんぱく質を3度の食事でバランス良くとるという提案をしました。

Column

選手の献立を考えている
管理栄養士による解説
鈴木メンバー的
勝ちポイント解説

食べたたんぱく質はいったんアミノ酸に分解され、小腸から吸収されて再びたんぱく質となり、ヒトのカラダを作ります。パワーのある強いカラダを作るためには、たんぱく質が必要不可欠です。今日から作れるたんぱく質レシピはこちら。
https://www.ajinomoto.co.jp/nutricare/recipe/recipe-nutrient.html

まずは質の良い食事ですよね。朝と夜を家で、昼は会社の食堂でとっています。鶏胸肉には何グラム、卵には何グラムのたんぱく質が含まれているという表を西川さんに作ってもらって、キッチンに貼ってあります(笑)。

ありがとうございます(笑)。それで思い出したんですが、味の素ナショナルトレーニングセンターの「SAKURA Dining」のメニューには、たんぱく質のグラム数が小数点以下1位まで記載されています。その数字を参考にして、衛藤選手から1日ごとのたんぱく質摂取量が送られてきたこともありましたね。

それまでは、何を基準にしたらいいかわからなかったんですよ。

きちんとたんぱく質量を設定した食事を続けていても、試合の遠征やハードな練習が続くと除脂肪体重はグッと絞られてくる傾向があります。

今のところ練習は週に5日です。ちゃんと2日休んでます(笑)。そのうち跳躍練習は1日だけ。残りの4日はランニング、ハードルを跳んだり、2キロのメディシンボールを使った体幹トレーニングなどです。最近は公園に行って“坂ダッシュ”もしています。

衛藤選手にとっての理想的なカラダ作りの追求は、練習、試合、食事および「アミノバイタル®」などの補食の、すべてのバランスの追求ともいえます。これからもいろんな話を聞いて、衛藤選手とともに試行錯誤しながらサポートしていきたいと思っています。

Column

選手の献立を考えている
管理栄養士による解説
水柿メンバー的
勝ちポイント解説

アミノ酸はコンディショニングだけでなく、リカバーや粘りの向上などさまざまな有用性を持っています。スポーツのときの目的に合わせてさまざまな「アミノバイタル®」製品が用意されています。
https://www.ajinomoto.co.jp/aminovital/

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継続だけは
誰にも負けない

僕は背が高いとかバネがあるとか、走高跳の選手として身体的に優れたものは持っていません。陸上選手としてエリート街道を歩いてきたわけでもない。そんな僕の唯一の強みは、「決めたことを続ける力」です。体組成を計測する。栄養バランスの良い食事を心がける。地道に継続できることが、強みなんです。

そこが衛藤選手の本当にすごいところ。また僕が言うのもおこがましいのですが、走高跳という競技に対しても、1日ずつ、誠実に続けてこられたのだと思っています。今現在、目標としている記録を教えてもらえますか。

リオ2016オリンピックが終わったときに立てた目標、2メートル30センチはすでにクリアしています。次回出場する陸上競技大会で、2メートル33センチを跳びたいと思っています。

1年で1センチずつ、3年で3センチという感じですね。

とにかくその数字が出せれば、東京2020オリンピックの出場権が確定できるはずですので。

最後に、その東京2020オリンピックでの目標を聞かせてください。

予選を突破したいです。オリンピックは勝負の場なので、高さにはこだわりません。勝負に勝ちたい。そして決勝に進んで、1本でも多く跳びたいですね。

今後もできる限りのサポートを続けていきます。頑張ってください!

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Profile

走高跳
衛藤昂選手
Takashi Eto

1991年、三重県鈴鹿市生まれ。祖父、両親、弟も陸上競技選手というスポーツ一家に育つ。旭が丘小学校、白子中学校、鈴鹿工業高等専門学校を経て筑波大学大学院に進学。2015年にAGF鈴鹿(株)に入社。2014年、2016年、2017年、2018年の日本陸上競技選手権大会、男子走高跳で優勝。リオ2016オリンピック、世界陸上競技選手権大会(北京2015、ロンドン2017、ドーハ2019)およびアジア競技大会(仁川2014、ジャカルタ2018)にて男子走高跳日本代表。自己ベストは2メートル30センチ(日本歴代5位タイ)。