「瀬戸のほんじお」製法と歴史


日本の伝統的な、海水を原料とする塩田

日本の伝統的な塩づくりとは?

岩塩などの塩資源に恵まれていない日本では、古来から、海水を原料に塩が作られてきました。海水を塩田に引き込み、蒸発させて塩を結晶化させるのが天日塩なのですが、これもまた高湿多雨の日本では適していません。そのため、古代の日本の塩作りは、塩田でいったん濃い塩水(かん水)を作り、平釜で煮詰めて塩の結晶を得る方法が主流でした。

ただし、海水に含まれる塩分はわずか3%ほどしかありません。この3%の塩分をいかに効率よく取り出すか……。手間暇をかけ、試行錯誤を重ねながら発展してきた歴史は、日本の塩作りの歴史そのものなのです。


野﨑武左衛門

瀬戸内の塩業創業者、野崎家

野﨑武左衛門が瀬戸内・備前岡山の沿岸に入浜式塩田を作ったのは、江戸時代後期、文政12年(1829年)。瀬戸内に広大な塩田を構築し、日本の塩業の中心となりました。その後、昭和19年には、ポンプで海水をくみ上げる流下式塩田を全国に先駆けて導入。さらに、昭和44年からは、より効率的にかん水を作る膜濃縮製塩法を取り入れ、これまでより少ない労力で、生産量を大幅に増やすことができるようになりました。

野崎家の伝統を受け継ぐ、塩づくり


瀬戸内海に面した工場の全景

野﨑武左衛門が瀬戸内海沿岸で始めた塩作りは、今も同じ地で続いています。180年間、伝統を守りながらも改良を重ね、時代と共に進化してきた塩作り。こうして誕生したのが「瀬戸のほんじお」です。 現在は、瀬戸内のきれいな海水を大事に使うため、海水中の塩分を濃縮し、少ないエネルギーで上質の塩を生産する“膜法”を取り入れています。昔のように塩田として広大な土地を使うことなく、また、天候にも左右されない安定した塩作りが可能になりました。

工場からのメッセージ
塩の製法、むかしと今
日本の塩作りの工程は、大きくわけると“かん水を作る”・“加熱蒸発させる”の2工程。
海水中にはたった3%しか塩分がないため、どうすれば濃い塩水にすることができるかを考えて、日本の塩作りは発展してきました。
塩田法の時代は、海水をくみ上げて塩田にまき、天日で乾かした砂にさらに海水をかけ、ろ過して、かん水を作っていました。現在は、イオン膜を通してかん水を作ります。イオン膜法は、海水中の塩分を効率よく集めることができるので、むかしのように大量の海水と広大な塩田は必要なくなりました。海水の汚染や細菌の心配がない、衛生的なかん水を真空式の大きな釜で加熱蒸発させて塩を作ります。

塩田時代



日本の海水を原料とする現代の代表的な塩作り