食の安全に関する情報の中に「ハザード」と「リスク」という聞き慣れない言葉が出てくることがあります。これらが一体何を意味するのか、安全に食を楽しむにはどうすればよいのかについて、リテラジャパン代表の西澤真理子氏をナビゲーターとして迎え、関西学院大学理工学部名誉教授の山崎洋氏にお伺いします。
ハザード |
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泳いでいるふぐ |
ショーウィンドウの車 |
売店のタバコ |
リスク |
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素人が調理したふぐ(毒の量) |
高速で走る車(スピード、整備状況など) |
喫煙されるタバコ(本数、期間、タール量など) |
● ハザードの見極めは、リスク評価の第一歩に過ぎない。
西澤
消費者は、食の安全に関心を持っています。特に昨今は、食品に関するさまざまなニュースが流され、報道に敏感になっています。中でも"発がん性"という言葉は関心の高い言葉のひとつです。また、それらの記事を読んでいると「ハザード」、「リスク」といった聞きなれない言葉も出てきます。そこで、「ハザード」や「リスク」にお詳しい関西学院大学理工学部名誉教授の山崎先生をお招きして、"発がん性"を例に、「ハザード」と「リスク」についてお聞きしたいと思います。
山崎
一言で"発がん性"といっても、本当に発がん性があるかどうかは非常に難しい問題です。そこで、その問題を国際的に評価したのが、フランスのリヨンにあるIARC(International Agency for Research on Cancer)、国際がん研究機関です。 IARCは、第2次世界大戦後、フランスのドゴール大統領が、戦争はお互い憎しみ合って敵を作ってきたが、これからは人類の共通の敵、がんに向かって、これまでの軍事費の1%を削り、その1%で国際的ながん研究機関を作ろうと提唱し設立された、WHO(世界保健機関)の外部組織です。 世界中から研究者を集めて毎年3回ほど会議を開き、さまざまなデータから発がん性を評価します。たとえば、タバコ。これは発がん性あり、といわれますよね。それは、あくまで発がんの有害性があるということを示しているだけなのです。この有害性を「ハザード」ともいいます。 ほかにも、みなさんが飲んでいるアルコールも発がんの「ハザード」になります。
西澤
有害性を示す「ハザード」にアルコールが入っているということは、お酒を飲むという行為は危ないものを飲んでいるということになるのでしょうか。
山崎 洋 氏
関西学院大学理工学部
名誉教授
ナビゲーター
西澤 真理子 氏
リテラジャパン代表
東京大学農学部非常勤講師
山崎
発がん性の問題で「ハザード」が誤解されるのは、そこなのです。IARCでは有害性評価をしているのですが、それは可能性だけを示したものです。日本ではどうしても、発がん性ありと報じられると、すぐに危険なものととらえられがちですが、そうではありません。 たとえばアルコールでいえば、一日にグラス2杯は心臓病に良いですし、ベネフィットも高い。つまり、一日グラス2杯までは健康に良いとされているのです。では、有害だと評価しながら一方で体に良い、とはどういうことかというと、「ハザード」というのは、自分が飲む量、暴露される量、使用する量、その使用方法など、そういったものを全く考えない状態で、がんになる可能性を示したものなのです。
西澤
では、「リスク」とは一体何なのでしょうか?
山崎
「ハザード」は有害の可能性。それに対して「リスク」は、使用法や量が関係します。アルコールを例にとりますと、IARCで発がんの「ハザード」と評価されていますが、一日にグラス2杯までは発がん「リスク」はなく、一日にグラス3杯以上飲む場合に発がんの「リスク」が生じます。 また、ふぐにはふぐ毒があり「ハザード」ですが、水族館で泳いでいるふぐを見ているだけなら危険だとはいいませんね。(冒頭の表を参照してください。)
西澤
すると、ふぐはどのような場合に「リスク」になるのですか。
山崎
素人がふぐをさばいて、肝がきちんと取り除けていないふぐを食べてしまった時に、「リスク」になるのです。ですから、泳いでいるだけのふぐは「ハザード」であり、「リスク」ではありません。肝をきちんと取り除いていないふぐを食べてしまった時に初めて「リスク」になる訳です。 あくまで「ハザード」は危害要因、有害要因ということで、「リスク」は危害が起きる確率みたいなものとお考えになったら良いでしょう。
国際がん研究センター( IARC :International Agency for Research on
Cancer)は、世界保健機関(WHO)の外部機関。発がんのメカニズム、疫学、予防などを研究する組織で、WHOとは予算、運営面で独立した組織として1965年にフランスのリヨンに設立。
活動の一環として発がんハザードの評価委員会を開催し、その結果を公表している。
1. 人が暴露されている証拠がある
2. 発がん性の証拠あるいはその疑いがある
国あるいは個人からの要請があった候補物質の中から選ぶ(特別諮問委員会を2~5年に1回開催)
国の「リスク」評価機関からのメッセージを理解し、ご自身で「リスク」を判断するひとつの基準にする。
西澤
IARC(International Agency for Research on Cancer)、国際がん研究機関では、有害性評価である「ハザード」を、グループ分けしているとお聞きしましたが?
山崎
「ハザード」をそれぞれグループ1から、2A、2B、3、4に分けています。その定義は、たとえばグループ1なら、人に発がん性ありという証拠の強さ(確からしさ)があるもの。グループ2Aは、多分人に発がん性ありという証拠の強さがあるものです。
西澤
グループには、実際にどのようなものがはいるのですか?
山崎
詳しくは、表を見てください。いろいろなものがグループに分類されています。
グループ1 | 人に発がん性あり |
グループ2A | 多分、人に発がん性あり |
グループ2B | 人に発がん性の可能性あり |
グループ3 | 人の発がん性についての分類が出来ない |
グループ4 | 多分、人への発がん性がない |
このグループ分けは発がん性の証拠の強さ(確からしさ)だけに基づいており、発がん性の強さは考慮されていない。
・太陽光線 ・アルコール飲料 ・タバコの煙 ・ベンゼン(化学工業において基礎的な物質)
・アフラトキシン(カビ毒の一種) ・ピロリ菌 など
・ジーゼルエンジンからの排気
・ホルムアルデヒド(建築材から放出され、シックハウス症候群の原因のひとつ)
・UV-C(紫外線の一種) ・ UV-B(紫外線の一種)
・PBC(ポリ酸化ビフェニル、カネミ油症事件で知られる)
・ベンツピレン(排気ガス、タバコの煙などの中に含まれる) など
・ガソリンエンジンの排気 ・カーボンブラック(炭素の微粒子)
・アセトアルデヒド(建築材から放出され、シックハウス症候群の原因のひとつ)
・クロロフォルム など
・コレステロール ・サッカリン ・茶
・リモネン(柑橘類の皮から採れる天然油) ・石灰塵 ・過酸化水素 など
・カプロラクタム(石油化学製品の原料ナフサから取り出される白い結晶、ナイロンなどの原料)
西澤
「ハザード」が「リスク」に変わるにはどれだけの量からといえるのでしょうか。
山崎
動物の実験では、我々が日常では摂取しないような大量の量を与えて、発がん実験を行います。それは何故かといいますと、最大限の状態でがんになれば発がんの可能性はある、すなわち「ハザード」だといえる、だからそういう実験を行うのです。 ただ、その「ハザード」の中のものを、どの程度飲んだら人ががんになるかどうか、「リスク」になるかという判断値は、一概にはいえません。たとえば、アメリカではサッカリンが多く使われていたのですが、"発がん性"があるのではないかということで実験したところ、大量摂取でラットにハッキリと膀胱がんができました。 しかし、ラットと人ではメカニズムが違うのでは、ということで、再度調べました。それで、ラットにサッカリンを飲ませたあとに膀胱の中を調べてみると、尿がたまった時にサッカリンの結晶ができて、そのザラザラの結晶が膀胱の粘膜の細胞を刺激していました。この細胞への刺激が膀胱がんの原因だとわかりました。 では、人間ではどうかと、人の尿の中にたくさんのサッカリンを入れて実験したところ、結晶はできませんでした。実は、ラットと人間の尿にアルカリ性か酸性かの違いがあって、結晶ができなかったのです。
西澤
ということは、動物を使った実験の結果を、人間にそのまま当てはめることは難しいこともあるのですね。
山崎
はい。動物の実験で「ハザード」と評価しても、「リスク」そのものの評価は難しいのです。実はIARCは「ハザード」を評価していますが、「リスク」は評価していません。それには意味があります。「リスク」というのは、動物によって違うように、個人でも違います。 その国の人の遺伝子によっても違いますし、感受性でも異なります。欧米の白人は太陽光線での皮膚がんに対するリスクが高く、日本人が低いのは身近な例でしょう。ですから、「リスク」の評価というのは、その国々が、その社会が及ぼす影響も考えて総合的に評価してくださるのが正しいのです。 そこで、国のしっかりした機関が「リスク」の評価を行うということが非常に大切になってきます。たとえば、日本では、食品安全委員会という行政機関がありますし、海外でも同様な機関が存在しています。
西澤
では、私たちはIARCの評価をそのまま受け入れるのではなく、ワンクッションおいて解釈するべきなのですね。
山崎
はい、絶対にそうすべきです。「IARCはリスク評価をしていない」ことを念頭に置き、その国の「リスク」評価機関からのメッセージを理解し、ご自身で「リスク」を判断するひとつの基準にするべきだと思います。
「リスク」をゼロにすることは実際には不可能
いろいろな食品を“適量”摂取して、さまざまな情報に対して必要以上に不安がらないこと
西澤
これまで"発がん性"についてうかがってきたのですが、逆に、"がんに予防効果がある"食品などの報道は、どのようにとらえたら良いのでしょうか。たとえば、イソフラボンは、喫煙経験のない男性には"肺がんの予防効果がある"と報道された一方で、過剰摂取は、特に女性にとって問題になることもあると聞いたことがあります。
山崎
これも難しい問題です。やはりIARC(International Agency for Research on Cancer)でも、がんの予防効果について国際的に評価しようということで、発がん性を評価するのと同じように、年2~3回集まり協議して結果を公表していました。予防効果についての研究資料があっても、先ほどのイソフラボンのように有害性も示すものがあり、その両面性が非常に難しいのです。
西澤
アルコールと一緒ですね。少量なら健康に良いけれども、過剰だと「リスク」になってしまう。
山崎
だから、がんの予防も案外同じだと思うのです。ビタミンAやカルテノイドもがんに良いとされていますが、大量摂取すると、動物や人に対する試験で、がんの促進がみられる結果が得られています。よって、「ハザード」というのは、白黒はっきりしていますが、現実の世界では「リスク」については、はっきりとさせることはできないのです。
西澤
では、「リスク」をゼロにする、「リスク」をまったくないものにすることはできないのでしょうか。
山崎
もちろん「リスク」をゼロにできれば良いのですが、「リスク」をゼロにするということを突き詰めていくと、たとえば、ここから一歩も動かないで微動だにしないことが、転ぶ可能性もあるので一番安全だということになります。食の安全も、もし「リスク」をゼロにするのであれば何も食べないことですが、実際にはそれは不可能です。 安全志向が強くなった現在では厳しく安全性評価された食品が市場に出ていますので、"適量"摂取することでほとんど「リスク」はないと考えて良いと思います。いろいろな食品を"適量"摂取して、さまざまな情報に対して必要以上に不安がらずに豊かな人生を送っていただきたいと思います。
関連リンク:「食中毒」の原因と、「食中毒」を防ぐさまざまな方法
取材は2010年2月に実施しています。内容は適宜確認・更新しております。(最終更新時期:2019年3月)
山崎 洋(やまさき ひろし)氏
関西学院大学理工学部名誉教授
関西学院大学理工学部名誉教授
関西学院大学理学部卒