新聞やテレビで取り上げられることが増えてきた言葉、「コーデックス」。聞き慣れない言葉ですが、世界的に認められている食品規格として私たちの食の安全に大きく関わっています。コーデックスがどんな役割を果たしているのか、消費者にはどのように関わっているのかについて、国立感染症研究所 名誉所員である吉倉廣氏にお伺いします。
食の安全に対する関心が高まる中、新聞やテレビで「コーデックス」という言葉を見聞きする機会が増えています。
コーデックスとは、「食品規格」を意味するラテン語、コーデックス・アリメンタリウス(Codex
Alimentarius)を略したもので、コーデックス規格とも呼ばれています。この規格を策定しているのが、国連機関であるFAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)が合同で設立した国際食品規格委員会、通称コーデックス委員会です。コーデックス委員会には日本を含む187ヶ国と1機関(EU)が加盟しており(2016年7月現在)、コーデックスは国際社会で共有される食品規格として、世界的に認められています。
コーデックスそのものの歴史は非常に古く、13世紀から15世紀のヨーロッパまで遡ります。当時のヨーロッパでは国を越えたパンや肉の流通が始まり、食中毒などの衛生問題が発生していました。そこで、いくつかの国が集まって協定を作ることになり、これがコーデックスの起源になったと言われています。
現在のコーデックス委員会が設立されたのは1963年のことです。設立当初はヨーロッパの古い伝統を受け継ぎ、麦などの個別食品に関する規格を決めることが主な目的でした。設立から約半世紀が経過した今日、コーデックス委員会は、衛生管理のガイドラインから添加物や残留物の基準値に至るまで、さまざまな規格を策定する重要な組織のひとつとなっています。
コーデックス委員会は、活動の目的として、「消費者の健康保護」と「食品取引における公正性の確保」のふたつを掲げています。
ひとつめの「消費者の健康保護」は、文字通り、食の安全を追求することを意味しています。一方、ふたつめの「食品取引における公正性の確保」は、公正な貿易の実現を意味していますが、消費者の方から見ると、食の安全を追求している組織がなぜ貿易の話をするのか、疑問に思われるかもしれません。その理由は、コーデックス委員会が国連の一組織であることと深い関わりがあります。
国連は、第二次世界大戦後に「国際平和と安全の維持」を目的として設立された組織です。そのため、新たな戦争の火種となりうる差別貿易を撤廃し、自由貿易を実現することが、国連にとって重要な使命のひとつになっています。
さらに、食には「質」と「量」のふたつの側面があり、どんなに安全な食品であっても、全世界の人々にいきわたる量を確保できなければ意味がありません。各国で生産されている食品を世界規模で効率よく消費するためにも、公正な自由貿易の実現が不可欠なのです。
コーデックスには、個別食品の標準規格、各種ガイドライン、衛生規範、農薬の最大残留値など、いくつかの種類が存在します。この中で最もバラエティーに富んでいるのが、特定の食品を定義づける標準規格です。主食となる米や麦などの穀物類、野菜、果物、肉、魚、缶詰、さらにはオリーブオイル、チョコレート、はちみつ、キムチなど、200品目を超える幅広い食品の定義づけを行っています。その一例として、私たち日本人には驚きの「水」に関する規格をご紹介します。
コーデックスでは、水を「ナチュラルミネラルウォーター」と「容器入り飲料水」のふたつに分類しています。日本人の常識としては、飲み水の製造工程でフィルター処理を行うのは当然のことだと思うでしょう。ところが、コーデックスで定義されている「ナチュラルミネラルウォーター」では、フィルターの使用が一切認められていません。これは、ミネラル・ウォーターに関して非常に長い歴史を持つヨーロッパの意向が反映された結果であり、安全性については、細菌の残留数に厳しい制限を設けることで確保しています。
なお、一度でもフィルターを通してろ過した水は、「容器入り飲料水」に分類され、さらにその中で産地が明らかなものとそうでないものに分けることが定められています。
コーデックスには重要な役割がふたつあります。
ひとつめは、「安全規格のベースライン」を示すことです。
コーデックスは、基本的に途上国でも達成可能な必要最低限の規格を定めたものであり、その安全性については、委員会とは独立した専門機関が公平なリスク評価を行うことで、科学的に十分検証されています。各国の政府は、コーデックスを安全のベースラインとして参考にしながら、自国の食文化やライフスタイル、風土、環境などにあわせて、独自の食品規格を作ることができるのです。
ふたつめの役割は、「貿易係争時の科学的根拠」になることです。
本来、コーデックスに直接的な強制力は一切なく、あくまでも推奨規格にすぎないため、これに違反しても処罰の対象にはなりません。しかし、1995年にGATT(関税および貿易に関する一般協定)がWTO(世界貿易機関)に移行したことで、コーデックスを取り巻く状況が一変しました。貿易係争を解決する機関となったWTOが、食品の衛生や安全に関する科学的根拠として、コーデックスを判断基準にすると決定したのです。これにより、コーデックスを満たしているか、あるいは、コーデックスよりも不当に厳しい規格を設けていないかが問われることになりました。現在、各国政府は、食品規格を策定する際にコーデックスを無視できなくなっています。
コーデックスがどのようにして作られるのか、策定に至るまでのプロセスを簡単にご紹介します。
まずは、規格作りに入る前段階として、コーデックス委員会に20ほど存在する部会レベルで、「この食品について規格を作ろう」という議論が行われます。この議論を通して規格の必要性が確認されると「提案文書」が作成され、年1回開かれる総会に提出されます。
本格的な規格作りは、「提案文書」が総会に提出されてからスタートします。コーデックス委員会では、次の8つのステップで作業を進めるよう、厳密にマニュアルで定められています。
コーデックス委員会には、各国政府の代表に加え、オブザーバーとして、産業界の代表、消費者の意見を代弁する消費者団体などのNGOが参加し、発言の機会も、順序は政府代表が先ですが、公平に与えられています。議論は原則として公開で行われ、議長選挙などの一部の例外を除き、必ずコンセンサス(同意)を得たうえで、次のステップに進むことになっています。これにより、途上国もNGOも、先進国と同様に議論に参加できる公平さを確保しているのです。
また、前章でお話しした通り、コーデックスは貿易に対して大きな影響力を持っていますので、多数決で決める議論のやり方では、貿易係争の火種を残すことになりかねません。したがって、すべての加盟国の間でコンセンサスが得られるまで、場合によっては何年も時間をかけ、じっくりと議論を重ねながらコーデックスは作られていくのです。
消費者の方にとって、コーデックスはどのような存在なのでしょうか。コーデックスと日本人の食生活の関係について考えてみましょう。
日本の食料自給率はここ数年で50%を下回り、半分以上の食料を海外からの輸入に頼っている状況と言われています。各家庭の食卓にも輸入食品が多数並ぶ時代である今日、コーデックスが消費者の方にとって、極めて関係深い規格であることは明らかです。また、たとえ国産の食品であっても、コーデックスと全く無関係ではいられません。
現在、日本の食品メーカーでは、HACCP(ハサップ)という衛生管理システムの導入が進んでいます。このHACCP(ハサップ)のガイドラインを作成し、世界的に採用を推奨しているのが、実はコーデックス委員会なのです。さらに、日本政府が国内向けに策定している食品規格についても、食品添加物、残留農薬、放射線、有機農産物に関するJAS規格など、コーデックスを参考にして作られたものが少なくありません。このように、消費者の方にとっても、コーデックスは無視できない存在であると言えます。
では、消費者のひとりとして、どのようにコーデックスと関わっていけばよいのでしょうか。
まずは「知ること」が大切です。コーデックスに関する情報収集の場としては、年に数回、厚生労働省と農林水産省の共催によるコーデックス連絡協議会が開催されます。政府関係者はもちろん、消費者側や生産者側のNGOなどが一同に集まり、コーデックス委員会の現状と日本の活動状況が報告されるほか、検討中の議題については意見交換も行われます。一般の方でも傍聴が可能です。
コーデックス委員会の議論の場に、消費者の方が直接参加することはできません。しかし、オブザーバーの資格を持つ国際的消費者団体などを通じて、間接的に意見を発信することは可能です。そのためには、国際消費者機構(Consumers
International)などの世界的に大きな影響力を持つ消費者団体の中で、日本の消費者が発言力を強めていく必要があります。コーデックスの動向に常に関心を持ちながら、消費者としての意見をアピールしていくことが大切ではないかと思います。
取材は2012年1月に実施しています。内容は適宜確認・更新しております。(最終更新時期:2019年3月)
吉倉 廣(よしくら ひろし)氏
国立感染症研究所 名誉所員
東京大学医学部卒、国立予防衛生研究所研究員、東京大学医学部教授、国立国際医療センター研究所長、国立感染症研究所所長を経て、2004年より現職。FAO/WHOコーデックス委員会副議長、組換え食品タスクフォース議長。