味の素グループの歩み

韓国における事業の歩み・前編

長崎県の対馬から朝鮮海峡を隔てて50kmの距離にある大韓民国(以下韓国)とわが国は、古代より様々な密接な交流がありました。

1930年代 韓国向けポスター。モデルは韓国の人気歌手

長崎県の対馬から朝鮮海峡を隔てて50kmの距離にある大韓民国(以下韓国)とわが国は、古代より様々な密接な交流がありました。現代ではビジネスは勿論、歴史遺産やショッピング、おいしい食べ物を求めて多くの日本人や韓国人がお互いの国の観光旅行を楽しんでいます。

当社グループにとっても1909年の創業時代から、韓国は台湾と並ぶ海外市場でしたが、台湾におけるほど売り上げは伸びませんでした。その理由は、台湾では現地の料理店、家庭での使用が増えたのに対し、韓国では当初、現地の日本人による消費が中心だったからです。

1909(明治42)年5月に、うま味調味料「味の素®」の最初の新聞広告を東京朝日新聞に掲載しましたが、最初に注文がきたのは、なんとソウルの辻屋という食料品店からで、ビール箱3箱分の創業時としては、大注文でした。当時、合資会社鈴木製薬所の事務所は、丸の内の三菱1号館にありましたが、初注文を祝って中央亭※から1杯10銭のライスカレーを取り寄せて社員一同に御馳走したほどでした。ただこの注文は代金回収には至らず、とんだ糠(ぬか)歓びに終わったそうです。
※当時名店と謳われた高級西洋料理店

1931年の事務所跡地は現在道路になっています(奥が南大門)

韓国に当社グループの前身である(株)鈴木商店の駐在員1名が初めて置かれたのは、今から85年前の1929(昭和4)年2月1日のことでした。その頃は「味の素®」発売後20年たち、販売も軌道に乗り、社業も順調な拡大を示していました。この年、ソウル、釜山で得意先を招待するために、初代社長二代鈴木三郎助が韓国に渡っています。

その2年後の1931(昭和6)年8月20日にはソウル市内の南大門近くに朝鮮事務所を開設しました。同年10月に所長として赴任したのは、(株)鈴木商店入社2年目の渡辺文蔵(後に六代社長)でした。

創業時代から朝鮮半島での販売の対象は、現地に在住する日本人でしたが、渡辺の赴任前後から現地の社会に向かってのPRを展開しました。

1930年代 韓国でのちんどん屋による宣伝活動(大阪・国立民族学博物館で展示中)

当時の広告宣伝の方法とは、新聞広告や現地の歌手をモデルにしたポスター配布、ちんどん屋を連れて朝鮮半島全土の主要な町をめぐることでした。この頃には、各地に販売店による「味の素会」が組織されていましたので、二代社長の鈴木忠治も現地の市場視察に数回行きました。夜は特約店主と宴会になるのですが、酒を飲まない鈴木社長の代わりに、渡辺は酒の相手をほとんど一人で引き受けてこの間随分鍛えられたそうです。こうして、それまでの大口の業務用から、料理店、食堂、その他小口業務用、そして一般の生活者からも購入される様になってきました。

南大門近くにあった当時の朝鮮事務所

更に1933年(昭和8)年9月には、やはりソウル市内南大門近くの場所に4階建ての事務所を新築し移転しました。この4階は社員の住居として使用されました。またこの頃になってようやく朝鮮全土にわたって販売網が完成しました。

「味の素®」の売り込み先としては、各地の「麺屋」が挙げられます。ここで売る麺は、牛骨などからとっただしで麺を煮、牛肉を刻み込んだものを加えたボリュームがあり安くて美味しい食べ物なので、どこの麺屋も繁盛していました。また韓国の代表的な庶民料理のひとつ「ソルロンタン」の店にも売り込みました。

その後太平洋戦争の激化に伴い、1943(昭和18)年7月には、朝鮮事務所を閉鎖しました。

後編へつづく)