味の素グループの歩み

現金直売方式・バイオサイクル事業の先駆け「フィリピン味の素社」の歩み

フィリピンは、7,100余りの島々からなる多島海国家で、亜熱帯に位置し、国土面積は日本の約8割。人口は約94百万人で、全人口の90%以上がキリスト教徒です。これは、16世紀後半から約300年スペイン人に支配された後、アメリカの支配下に置かれた影響です。

フィリピンは、7,100余りの島々からなる多島海国家で、亜熱帯に位置し、国土面積は日本の約8割。人口は約94百万人で、全人口の90%以上がキリスト教徒です。これは、16世紀後半から約300年スペイン人に支配された後、アメリカの支配下に置かれた影響です。
1946年には、第3共和国として独立を達成しました。2008年のGDPは、16.7兆円で静岡県とほぼ同じ経済規模ですが、今後ASEAN諸国の一つとして更なる発展が期待されています。

■初期の海外展開
当社の海外展開は、1910年代に端緒を開き、1920年代に本格的な足固めの時代に入ることと成ります。1923(大正12)年に二代鈴木三郎助は、中国、東南アジアへの宣伝・販売活動を大阪支店の所管と定め、アジア各地に社員を派遣し、販売状況の調査・広告宣伝活動に当たらせています。
フィリピンに「味の素®」を輸出したのは、大正期からです。1927(S2)年シンガポール、香港に事務所を設置し、フィリピン、タイ、ビルマ、マレー方面等へ積極的に販売活動を始めて、華僑を中心に「味の素®」の需要創造が成功しました。

■戦後~1958(S33)年5月 ユニオンケミカルズ社(UCI)設立
戦後のアジア向け輸出は、1947(S22)年11月の香港向け2t が最初ですが、1955年には937t に急拡大します。 フィリピン向け輸出は、1954(S29)年に52t で、当時の代理店は3社ありましたが、1956(S31)年にガラス器具、食器類の輸入業が本業であった鄭兄弟が経営するユニオン社を唯一の総代理店としました。1957(S32)年の輸出量は、313t に増大しますが、1958(S33)年には、日・米・台湾の同業他社によるフィリピン向け輸出が急増し、当社の輸出量は、頭打ちとなります。

創業当時のユニオンケミカルズ社工場

またフィリピン政府からMSG製造工場の設立許可を1955(S30)年に受けていたマニラ市のイースタン・モノソジウム・グルタメイト・マニュファクチャラーズ社が1957年に、日本の同業他社との提携を目指す動きをしたことで、当社はユニオン社と善後策を協議し、当社がユニオン社と協力して、フィリピンでMSGの現地生産を開始する方針を固めました。
同年11月には、フィリピン工場建設に関する覚書を交換し、翌1958(S33)年5月に鄭社長は、ユニオンケミカルズ社(UCI)を設立登記し、1960(S35)年4月には、MSG製造工場設立に関する合弁事業基本計画が締結されました。これでは、MSG製造工場の当社持ち株比率を51%にすることや、MSGおよび副製品販売のため販売会社を設立することなどが決められました。

工場敷地の選定に於いては、マニラの井戸に関する最高権威のフーバー氏や、マニラ市を貫流するパシフィック河畔に澱粉加工工場を建設中であったコーン・プロダクツ社側の意見を聞いて、検討を重ねた結果、パシフィック河口から約14kmの南側、リサール州バリオ・ウゴングに約6万㎡の土地を買収しました。工場建設は、設計・監督を清水建設に依頼し、1961年6月から現地の建設会社3社により始められ、翌1962年9月には完了。川崎工場で研修を受けた5名の現場責任者を含む191人で生産開始し、10月にはタピオカ澱粉を原料とする発酵に成功します。

この時代、フィリピンの他、タイ、マレーシアなどで海外工場建設ラッシュが続いたのは、競合他社に先んじて進出先でのMSG生産の一番手になることが、経済優遇措置の獲得や特許面での優位確保において有利に作用するという事情も存在しました。

1972年(S47年) ユニオンケミカルズ社工場

サリサリストアでの営業活動

■フィリピンでの発展~現金直売方式、バイオサイクル事業の開拓者
その後、フィリピン工場の生産高は1969(S44)年4,520t から1996(H8)年には21,512t と飛躍的に拡大していきますが、MSGの生産方法が簡便で安価に行える発酵法になってから販売競争は厳しさを増していきます。それに対する対策が直売体制の構築で、その方法は流通体制の整備されていない国には有効に機能しました。

小売店は多いが、流通力を持った食品問屋がなく、売掛金の回収はかなり危ういという状況を考慮し、当時の販売責任者であった古関啓一氏(後に味の素社の専務取締役)は、本社の反対にも関わらず、現金直売体制を目指し、方言の異なる地方ごとにセールスマンを雇用し、市場密着型の営業活動を展開していきました。商品1個あたりの価格が安くないと売れないので、サリサリストアと呼ばれる小売店には、5センターボスという小さなワンコインで買える極小サイズの3g袋入りを置き、セールスマンの営業活動目標は、売上金額や数量ではなく、月1,000枚以上の売上伝票枚数で、その目標を高い成績で達成したセールスマンには賞与や地位で報いたのです。
またラジオでコマーシャルソングを流し、「味の素®」が高品質で、混ぜ物のない安心できる商品であることをアピールし、リパック品対策も行いました。こうして数年を費やしてフィリピン全土に直売方式がいきわたった頃には、売り上げは大幅に拡大し、代金回収も確実になりました。この方式は、その後タイ、ベトナム、西アフリカにも伝えられ威力を発揮し、今日当社の強い国際競争力の重要な源泉の一つとなっています。

また、価格高騰により原料を澱粉からCM(ケーンモラセス)に転換しましたが、1974(S49)年には、廃液処理を検討し、液肥として事業化し、サトウキビの栽培と組み合わされ、各国のバイオサイクル事業へと発展していきました。こうして、ユニオンケミカルズ社が最初に行った、現金直売方式、包材自給化、液肥の販売は、その後改良を加えながらアジア諸国のリテイル事業に生かされることとなっていったのです。

「GINISA」7gと「味の素®」2.4g袋

■現在へ
またUCI社は、フィリピン社会への貢献に心がけてきましたが、1976年からフィリピン政府の栄養強化プロジェクトに参加し、フィリピンの幼・少年の栄養欠如による夜盲症対策として、ビタミンA添加のMSGを提供し、販売地域における、血清中のビタミンAの測定試験に協力しました。
製品の多角化では、1991(H3)年には、ガーリック・玉ねぎ・肉の風味調味料「GINISA(ギニサ)」を発売。これも発売後10年間で、大幅な売り上げ拡大を記録することと成ります。

その後1982(S57)年6月には社名をユニオン味の素社、更に2001(H13)年4月にはフィリピン味の素社と改称し今日に至っています。

フィリピン味の素社本社