味の素グループの歩み

1920(大正9)年2月1日
大阪出張所が支店に昇格 ~当時大阪が販売の中心

2月1日は、(株)鈴木商店(現、味の素(株))大阪出張所が、大阪支店に昇格した日です。ご存じでしたか?

販売当時の「味の素®」

2月1日は、(株)鈴木商店(現、味の素(株))大阪出張所が、大阪支店に昇格した日です。ご存じでしたか?

1909(明治42)年5月から「味の素®」の一般販売を始めたものの、薬用の瓶を容器に使用し、薬の小売店に販売を委託した為、薬と間違われることもよくあり、販売は全く不振でした。そこで、薬店でなく食料品や酒類の販売店で販売することにしました。

当初は日本橋の鈴木洋酒店(現、伊藤忠食品株式会社)および銀座の亀屋鶴五郎商店(第二次世界大戦中に閉店)を販売店とし、12月には、大阪の松下(善四郎)商店(現、伊藤忠食品株式会社)、名古屋の梅澤商店(現、三井食品株式会社)、これに鈴木洋酒店を加えた3店を大特約店(代理店)としました。

その後、関東地方においては、国分商店(現、国分株式会社)と日比屋商店(現、三菱食品株式会社)を加え、鈴木洋酒店とともに関東の3大特約店としました。関西地方においては、松下商店の販売力に負うところが大きかったので、二代鈴木三郎助(初代社長)は、1910(明治43)年8月に松下商店を近畿地方以西の総代理店とすると同時に、東京以外で初の営業拠点として大阪市北区若松町23番地に大阪出張所を設置しました。建屋は二階建ての閉店中の商店を改造した狭い事務所でした。

大阪支店 初代支店長 三代鈴木三郎助

大阪出張所は、1914(大正3)年6月には北区鳴尾町に移転しますが、その頃には天満や難波方面の乾物問屋が本格的に「味の素®」の販売に力を入れてくれるようになりました。「味の素®」の普及とともに管轄地域が拡大し、西日本から北陸に及ぶ範囲をカバーするようになりました。また、取り扱う商品も増え「味の素®」だけでなく、澱粉や化学薬品も担当するようになって、販売実績は本店をはるかに凌いでいました。社員数も次第に増え11名程度になっていました。

そこで販売・広告の責任者であった鈴木三郎(後の三代三郎助、三代社長)は、1920(大正9)年2月1日、大阪出張所を支店に昇格させ、29歳で出張所長から支店長となりました。当時三郎は、多い時は半月近くも東京の本店に行き、宣伝・広告・拡売の仕事を指揮し、夜行列車で東京・大阪間を幾度となく往復しています。

三郎は、著書「味に生きる」の中でこう書いています。「『味の素®』の拡売に関しては、東京の本店および他の店に比して大阪支店はいつも比較的好成績を示しており、澱粉の売りさばきとあいまって、支店長としての私としても内心いささか得意でした。」

1927年に新築した大阪支店の新社屋(北区樋上町)

1958年に新築した大阪支店の新社屋(北区西天満)

現在の大阪支社(大阪市北区中之島)

ところがこの年、(株)鈴木商店は、主力商品であった化学薬品の価格暴落と、株投機の失敗で倒産の危機を迎えます。

この危機を必死の思いで乗り越えた1923年(大正12年)1月には、台湾、韓国、中国および東南アジアとの「味の素®」の取引と宣伝業務が、本店から大阪支店に移管されることになりました。なお、業務が非常に増大したので1927(昭和2)年5月には、北区樋上町に新社屋を新築して移転しました。

太平洋戦争中は、規模を縮小して再び大阪出張所となりますが、事務所は全く無傷で戦災を免れ、1950(昭和25)年2月に改めて支店に昇格。その後、1958(昭和33)年に北区西天満に新社屋を新築、移転しました。

2000(平成12)年7月1日、従来の10支店を5支社に再編したのに伴い 大阪支社と改称。2003(平成15)年12月に東京で大地震が発生した場合は、本社機能を一時的に代替できる味の素グループ大阪ビル(大阪市北区中之島)が完成し今日に至っています。