スポーツの舞台裏に迫る『挑戦のそばに』

高い身長が有利とされるバスケットボールの世界で、167㎝と小柄ながらも、リーグはもちろんのこと、日本代表としても存在感を放ち続けているのが富樫勇樹選手です。今回は、不利と思われがちな身長差を、いくつもの挑戦と努力で埋めていった富樫選手のエピソードに迫ります。

失意の帰国から一転、想像もしていなかった戦いに挑む

富樫勇樹選手――プロリーグで活躍する、言わずと知れた日本屈指のポイントガード(PG)です。ポイントガードとは、いわばチームの司令塔。ゲームをコントロールしながら、攻撃を組み立てていくポジションです。
かつては敵陣にボールを運び、チームメイトにパスを出すことが主な役割でした。しかし、現代バスケットではPG自身の得点も求められます。180㎝・190㎝は当たり前で、2mを超える国内外選手もいるなかで、ひときわ小さい167㎝の富樫選手は、持ち前のクイックネスと磨き抜かれたボールコントロール、高確率の3ポイントシュートで異彩を放っています。
その富樫選手を語る上で「挑戦」は欠かせないキーワードです。最初の大きな挑戦はアメリカ留学。近年増えてきた大学からの留学ではなく、高校からの留学挑戦でした。中学時代に日本一を経験し、当時から脚光を浴びていた富樫選手。しかし、性格は超が付くほどシャイで、記者に質問をされても「はい」「いいえ」くらいしか返せませんでした。身長も今より小さく、懐疑的に見ていた関係者も多かったかもしれません。本人もまた「あのときは試合に出られなくてもいいくらいの気持ちでした」と、留学直前の想いを明かします。
しかし実際には、1年生からロスター(ベンチ)入りし、2年生からは主力として全米ランキングで2位に入るなど、チームの勝利に貢献。シャイな性格も一変。はっきりと自分の考えを口にできるようになっていました。
ただ、富樫選手は自身最大の挑戦は、それではないと言います。「留学したときに目指していたのはNCAA(全米大学体育協会)のディヴィジョン1に所属する大学でプレーすることでした。でも、それが叶わずに日本に戻ることになったんです」。失意の帰国でしたが、富樫選手はその2年後にアメリカへの再挑戦を決断します。これこそが富樫選手を日本トップレベルのポイントガードへと成長させる挑戦になりました。「アメリカのトップクラスの大学に行けなかった僕がバスケットボールリーグの最高峰、その下部組織であるリーグに挑戦する。これは日本に戻るときに想像もしていなかったことでした」。

自分をアピールすることの大切さを知ったアメリカ再挑戦

富樫選手が最大の挑戦と語るアメリカ行きには、おもしろい裏話があります。2014年5月25日、当時、秋田のチームに所属していた富樫選手はリーグのファイナルの舞台に立っていました。結果としてその試合には敗れますが、「その当日か翌日に『富樫、アメリカ再挑戦』っていうニュースが出たんです。僕が言ったわけではありません。ヘッドコーチの中村和雄先生が記者に言ったんです」。
中村ヘッドコーチからはそれまでにも「若いうちにもう一度挑戦したほうがいいぞ」と言われていました。富樫選手も、そのシーズンで秋田を離れようと考えていましたが、アメリカへの挑戦まで踏ん切りをつけることができなかったそうです。それを中村ヘッドコーチが半ば強引に、しかし力強く後押ししたわけです。「その記事で、自分はアメリカに挑戦するんだ、って知ったくらいです(笑)」
中村ヘッドコーチとは幼い頃から父親を通じてお世話になっている関係で、普段は親しみを込めて「カズさん」と呼んでいます。アメリカでの大学進学を諦め、失意の帰国をしたときも、中村ヘッドコーチがいたからこそ秋田入りを決断した経緯があります。「カズさんの言葉を信じて、アメリカ挑戦という行動を起こしたからこそ、今の自分があります」。
高校留学の時は学校の人たちが様々な面でサポートしてくれました。しかし、2度目の再挑戦は違います。20歳の富樫選手は自分で何でもできる、どこにでも行きたいと意気込んでいたものの、向かうのはバスケットの本場、アメリカ。しかも、今度はプロの世界。下部組織であるリーグを経由して、世界最高峰である北米のプロバスケットボールリーグを目指すというものでした。周りにいるすべての選手がライバルです。誰かが助けてくれるはずもない。そんな挑戦の中で、富樫選手は、日本のトップ選手となった今なお大事にしていることを学びました。
「日本ではなかなか感じられない『自分を出す』こと――表現は悪いかもしれないけど、セルフィッシュ(自己中心的)になってでも自分のアピールをすることが、プロとしてのあり方だと学びました」
和を重んじる日本にいると、常に「チームのため」が最優先されます。しかし富樫選手は、日本にいただけでは学び得ない意識を、アメリカ再挑戦で得ました。批判的に捉えられることもあるかもしれません。それでも、富樫選手は胸を張って、こう言います。
「自分勝手なプレーと見る人もいるかもしれません。でもそれこそアメリカで学んできたことで、そのおかげで今もこうしてプロ選手としてプレーできているんです。今はまだ、ただチームが勝てばいいとは思えないんですね。自分がしっかり活躍して、チームを勝たせたいと思いがあるので、そういう気持ちを持ち続けて、これからも戦っていきたいなと思っています」