スポーツの舞台裏に迫る『挑戦のそばに』

今回は、アメリカンフットボールの常勝、富士通フロンティアーズのクオーターバック(QB)高木翼選手。高く能力を評価されながら、社会人になって4年間ほぼプレー機会のなかった彼は、2019シーズンにチャンスを掴み、日本選手権でMVPも受賞。日本代表にも選出された、現在最も注目されるクオーターバックです。その裏にあった果敢なる挑戦、高木選手の日々の努力を紐解きます。

自分の目標を達成するため、努力ができる環境を選んだ

2019年シーズンで4連覇を果たした、富士通フロンティアーズ。アメリカンフットボール日本一を決める日本選手権では、4年ぶりに日本人選手がMVPに選ばれました。彼の名前は、高木翼。クオーターバック(QB)として、パス18本中15本を成功。3タッチダウンパスを記録しての受賞となりました。しかし彼は、実力を高く評価されながらも、4年間控えとしてほぼプレー機会のない選手でした。その高木選手が、日本一の立役者となれたのは、自分自身の信念に従いチャレンジする決断を下したからです。
アメフト選手だった父の影響で、小学校2年生からフラッグフットボール(タックルの代わりに腰につけたフラッグを取る、安全性の高い競技)を始めた高木選手。中学校時代には、父の海外赴任によりアメリカで1年間生活。本場のプロアメリカンフットボールリーグを観戦し、アメフト日本一を目指すようになりました。
チームの司令塔クオーターバックの役割に魅力を感じ、頂点を目指すようになった高木選手。高校、そして慶応義塾大学で日本一を目指しましたが、夢叶わず。社会人でそれを実現するため、当時リーグ4連覇中だったオービックシーガルズに加入します。「高いレベルでプレーする前提で、アメリカ人QBも獲らない方針だったので、私にとっては必然の選択でした」と高木選手も語ります。
しかし、一年間プレーした後、転機が訪れます。チームがアメリカ人クオーターバックの獲得を表明。当時、銀行員として働いていた高木選手は、転勤がつきものだったのもあり悩みました。
「アメリカ人選手からポジションを奪うにしても、現実的に実力を考えれば1~2年でそれを成し遂げるのは相当難しい。長期間かけて競技と仕事を両立する必要があり、それがいつか転勤などの理由で物理的にチャレンジできなくなる、そこまでの努力が水の泡になる可能性があると思ったんです」
一時期アメフトをやめることも考えた高木選手。そして、彼が出した答えは、より厳しい環境に自分を置くことでした。自分より実力が上のクオーターバックがいる、富士通への移籍です。

地道な努力が実を結んだ瞬間

当時、富士通フロンティアーズには、“リーグ史上最高のクオーターバック”と言われたコービー・キャメロン選手がいました。普通、移籍は出場機会を求めてするもの。自分がより試合に出られなくなるかもしれない選択をする選手は、滅多にいません。高木選手はその中で富士通をあえて選びました。
「社会人チームが今後アメリカ人クオーターバックを獲るのは予想していたので、自分がアメフトを続ける以上、アメリカ人選手とのポジション争いは避けて通れない。人生は一度きりです。とにかく勝ちたい、日本代表にもなりたい一心のもと、移籍を決意しました。逆に、どうせアメリカ人クオーターバックの下でプレーするのなら、当時群を抜いて優秀と言われたコービーの下で技術を学ぶことで、成長できると思ったのです」
この大いなる挑戦を自分の糧にする聡明さが、高木選手にはありました。2年間、コービー選手の元で経験を積んだ彼は、技術・リーダーシップ・考え方、メンタルに及ぶまで全ての面で成長。「学生時代の狭いコミュニティで育ってきたので、外を知る機会が無かった。自分は本当にちっぽけな価値観でやって来たんだなと、視界が広がりました。自分は欠点だらけだと知り、それは同時に伸びしろでもあると考えました」と、高木選手は話します。
それでも出場機会が増えない中、チャンスは突然やってきました。2019シーズン、コービーに代わり、クオーターバックのマイケル・バードソンが加入したチームは、シーズン中に怪我人が続出。高木選手にスターターのチャンスが巡ってきたのです。
「社会人リーグ準決勝エレコム神戸戦は、秋シーズン公式戦の初スタメンだったので、試合の2週間前からずっと緊張していました。食事が喉を通らなかったり、初めて味わう感覚でしたね」。その試合で、仲間の好プレーもあり、勝利と役割を果たした高木選手。その後の日本社会人選手権、日本選手権という大舞台ではリラックスして試合に挑み、チームを日本一に導きました。
自身の努力がついに報われたシーズン。振り返って思うのは、1度きりのチャンスをものにする心構えです。
「アメリカ人クオーターバックが増える中で、日本人クオーターバックに日が当たる機会が減っている。だから、チャンスは来ても1回、もしかしたら無いかもしれない、とさえ思っていました。そこに対して取り組んできたので、与えられたチャンスに4年間自分が努力してきたこと全てを出すつもりで挑みました。最終的にチームメイトの助けもあってMVPも獲得することができ、“アメフトは本当に楽しい”と純粋に感じるシーズンになりました」
アメフトの厳しい現実に挑戦し、その結果、得たチャンス。それを活かして、喜びに変えられたのは、高木選手が毎日の準備を怠らずに努力を続けてきた証拠です。