スポーツの舞台裏に迫る『挑戦のそばに』

今回はアイスホッケーチーム、H.C.栃木日光アイスバックスのGK福藤豊選手。高校生として初めて日本代表入りを果たし、2007年には史上初の日本人NHL選手としてプレー。その後も国内の強豪クラブ、海外チームを渡り歩き、2010年以降はアイスバックスの顔としてチームと日本代表を引っ張ってきました。「アイスホッケー界を変えたい」と語る、福藤選手の想いに迫ります。

日本人初のNHLプレーヤーを支えた決意

世界最高峰のアイスホッケーリーグと言われ、MLB(野球)、NFL(アメリカンフットボール)、NBA(バスケットボール)と並び、北米4大スポーツのひとつに挙げられるNHL。そのNHLで初めてプレーした日本人がGK福藤豊選手です。高校生で日本代表に選ばれた福藤選手は、2004年にNHLロサンゼルス・キングスから指名されて渡米。下部リーグなどでのプレーを経て、2007年12月に25歳でNHLデビューを果たしました。福藤選手は当時を「自分のアイスホッケー人生において1番の瞬間だった」と振り返ります。
「アメリカに行った1年目は、正直に言うと興味本位な部分がありました。結果的に、試合に出られない、チームメイトとして受け入れられない、そういったアイスホッケー以外の面の苦しさが大きく、“本当にここでプレーできるのか”と迷って日本へ帰ってきたんです。その後、もう一度ドラフトされたので、2度目は覚悟を決めて“アメリカでホッケー人生終わらしてもいい”と決意して挑戦しました。それが結果につながったと思います」
キングスでは2万人近いファンの前で好プレーを見せた福藤選手。しかし、定位置確保にはいたらず、2年の契約終了後に退団。日本国内の強豪SEIBUプリンスラビッツ、アメリカのチームなどを経て、2010-2011シーズンにアイスバックスへ加入しました。しかし、アイスバックスに対して最初は「あまり良い印象を持っていなかった」と、福藤選手は正直な気持ちを隠しません。ただ、チームの熱意に心を動かされたのだと言います。
「実は入るまで、あまり良いイメージがなかったんです。チーム存続の危機と聞いていたし、以前対戦した時にも強いイメージがなかった。でも話を頂き、“ここから変わろうとしているチームだ”と言われて、すごく惹かれました。唯一のプロチームだったし、アイスバックスが変わることでアイスホッケー界が何か変わるんじゃないかと思えたのは魅力的でした」。

クラブと地域の絆を感じる瞬間

アイスバックスが掲げる改革の一員となった福藤選手。その後、長くプレーする中で、チームに対する気持ちも大きく変わりました。「組織もしっかりしているし、年々良くなっていると思います。去年は、強豪だった日本製紙クレインズが廃部になり、クラブチームとして再出発しました。今後はほとんどがクラブチーム化していくと思いますが、その時にこのアイスバックスが見本にならなければいけないと思っています」
地元の日光を歩いていると声をかけてもらえる、お店がチームのポスターを掲げてくれている、チラシ配りで温かい言葉をかけてもらえる。そんなひとつひとつの喜びが、地元との絆を感じる瞬間、築いてきた絆だと福藤選手は語ります。そのファンのためにも狙うのは頂点です。
「今シーズンのチームは多くの選手が入れ替わり、ルーキーや新加入の素晴らしい選手が入ってきました。8月にリーグが開幕して、今は勝ったり負けたりの繰り返しで苦しんでいる時期。勝てる試合を自分たちのミスで落としているので、試合への準備や試合の運び方など、細かい技術を修正していかないと後半戦はもっと厳しくなる。それでも、若手選手などは勢いや技術面で好影響をもたらしてくれていると思います」。
プレーオフ含めて2020年3月まで行われるアジアリーグ、12月の全日本選手権、両大会の制覇はチームが掲げる最大の目標です。直感的な反応で何度もチームを救ってきたGK福藤選手の活躍はアイスバックスにとって、欠かせない要素なのは間違いありません。
「チームの目標は全日本優勝とアジアリーグ優勝の2つですが、個人としても自分のセーブ率の数字にこだわっていきたいです。それが上がれば結果的にチームへの貢献も大きくなる。大体セーブ率90%以上が良いGKと言われていて、本当にいい選手だと93%~94%。自分はギリギリ90%なので、少しでもこの数字を高くすればチームの勝つチャンスが増える。試合の流れもあるので完全にコントロールはできないですが、1点でも2点でも失点を減らして勝利に繋げていきたいと思います」