丁寧な仕事への評価。クラブへの想いを再認識したナビスコカップ

東京、小平市にあるFC東京のクラブハウス内にホペイロ部屋があります。ここが山川幸則さんの仕事部屋。扉に貼られた確認用メモ、キレイに並んだ手入れグッズ。そして、選手が苦楽をともにするスパイク。その美しく整理された様からは、山川ホペイロが普段からどれだけ丁寧に仕事をしているのか、伝わってくるようでした。これは長年かけて、山川ホペイロが試行錯誤を経て築き上げてきたものです。
そもそもFC東京に入ることになった経緯は、「FC東京がJ1へ昇格してホペイロを探していると聞き、売り込みに行きました。先にブラジル人ホペイロが決まっていたのですが、ビザの都合で来日が遅れて、私が担当することに。最初は分からないことだらけでしたが、私の姿勢を当時いた選手たちがクラブに伝えてくれて、契約できることになったのです」。
「最初は夢が叶っただけで嬉しかったのですが、周りが何をするにしても私に聞いてくる。誰かに助けてもらいたくても自分で判断しなければならず、すごく大変でした。ナイトゲームの後は深夜になるし、朝も早くて住み込み状況だったので、途中で好きだったサッカーが嫌いになりそうになったこともあります」。そんな時、周りの選手や他チームの先輩ホペイロにアドバイスを受けて、少しずつ状況を改善していった山川さん。そんな中で、記憶に残る出来事が起こりました。
「辛くても好きだから続けられていた2004年、ナビスコカップでチームが初めて優勝しました。みんなで一つの目標を達成することが、こんなに嬉しいことなのかと。選手たちからもありがとうと言われましたが、むしろ私の方が仕事をさせてもらえてありがとうと、感謝の気持ちを感じました。今度は絶対リーグ優勝をしたい、その気持ちで辞められなくなりました」。チームで戦う一体感、自分の価値も認められ、チームへの想いはより強くなったそうです。

偶然巡り合ったメンバーと一年かけてひとつの目標に向かうこと

FC東京のホペイロという職業に就いて20年、特に大きな病気もなく過ごしているのは、自分の体調管理もしっかり行っているから。「朝はいつも自然に4時頃になると起きてしまいます。体調管理をしっかりしないと周りのことも見えませんので、ランニングや筋トレを週に2~3回は時間を作ってやるようにしています」。
年々日程が厳しくなり、アジアチャンピオンズリーグの遠征などが入れば、より準備は難しく配慮が必要となります。「試合の時に水やドリンクをこの辺に置いて欲しいとか、『塩が舐められるようにここに置いて』とか要望に応えることも仕事のひとつ。アミノバイタル®も用意します。またメディカルスタッフと連携して、ハーフタイムを迎える時に選手たちがすぐシャワーを浴びることのできるように準備をすることも」。まさに“プロのサポートとはこういうものか”と、見えない努力に頭が下がります。
ホペイロとしての目標も、選手とともに。「私の仕事は、そのシーズン巡り合った人と、一年頑張りましょうと言って始まります。毎年どのチームも目標は優勝。それに向けてみんなで動く。優勝できなければ、私にもどこか落ち度があったのではないかと反省するし、もっとこうしておけばよかったと思うので、目標は選手とともにJ1で優勝することです」。
そしてできれば、「ブラジルのホペイロの方で、高齢になっても続けている人がいる。日本でもそういった初めての例になれればいいですね」と語る山川さん。多数の選手を見てきたその目は、今後も選手の全てを見守り続けます。