スポーツの舞台裏に迫る『挑戦のそばに』

サッカーならではの職業、スパイクやユニフォームなど選手の身の回りの用具を管理するホペイロ。南米で生まれたこの役割は、現代サッカー界においてチームに欠かせない裏方。日本でも徐々に認知度が高まり、近年プロサッカーチームで雇われるホペイロも増えました。FC東京の山川幸則ホペイロは、2000年から約20年にわたり選手を支えてきた存在です。その仕事の役割やこだわり、やりがいを伺いました。

サッカー用具のプロフェッショナル、その緻密さ

みなさん、『ホペイロ』という職業をご存知でしょうか。ポルトガル語で『用具係』を意味するこの言葉は、プロサッカーチームで選手が使用するシューズやユニホームなど、用具を整備する人を指します。
元々ブラジルでは、選手がサッカーの試合に集中するあまりスパイクを忘れることや、盗難の心配もありました。そこで選手が試合に集中するため、設けられたのがホペイロのポジション。それが練習着なども準備するようになり、選手が手ぶらで来て帰れるような環境づくりが彼らの仕事となったそうです。現代だと欧州の強豪クラブなら、スパイク専門、試合、練習、運送など役割別に7人も雇われるほど、地位を確立している職業。実際に、山川幸則ホペイロはFC東京でどんな仕事を担当しているのでしょうか。
「スパイク管理を中心として、すねあて、ユニホームの準備。道具のメンテナンスや、時には4トントラックでスタジアムに荷物を運んだりもします。毎日の選手たちの練習や、公式戦の日程から逆算して、選手がサッカーに集中できる状況を作るのが仕事です」
スパイク磨きは業務のひとつですが、プロとして、より緻密な作業、知識が求められます。「毎試合汚れがひどい時は漂白剤で洗濯するので、紐も入れ替えます。選手によって紐の結び方も特徴があるので、頭に入れておかなければいけません。芝生の状況によってポイント(スパイクの底についている凹凸)の高さを変える選手もいるので、最終的には3パターンぐらいのスパイクを常に持っていって、芝生の状況を見て先に取り替えたりします」。
他にも、正確な仕事をするため、ピッチに水がいつ撒かれるかなどの情報収集も欠かせない。ポイントを削ってもらいたい、幅を広げてもらいたい、革の質感をもっと固くなど、選手からのあらゆるリクエストに応えるのがホペイロ。まさに道具のプロフェッショナルです。

夢を諦めずにチャレンジ、スペインで引き寄せた運命

山川さんがFC東京に入ったのが2000年。まだホペイロ文化が薄い日本でプロになるには、様々な苦労がありました。小学校で、日本リーグ(現Jリーグの前身)を見てサッカーファンになった山川さん。高校生の時にJリーグが開幕し、ブラジル人ホペイロの特集番組を見たのがきっかけで、「自分もこういう仕事がしたい」と考えるようになりました。
しかし、どうやってなったらいいかわからず、一度は社会福祉を勉強して企業に内定。それでも「サッカーに関わる仕事がしたい」と夢を諦めきれず、先生や親に相談し、アルバイトでつなぎながらホペイロへの道を模索します。様々な仕事を経て、貯金したお金で1998年フランスW杯観戦ツアーに参加。その時知り合ったサッカー関係者に自分の夢を伝えると、スペインのオビエドというクラブを紹介してもらい、ホペイロ修行のため現地へ渡りました。
「スペインへ観光で行くだけになるかもしれない、と言われましたが、可能性があるならかけてみたいと思っていきました。スペイン語は分からなかったのですが、辞書など読みながらクラブの練習を見に行って、ホペイロの方に話しかけていました。結果、紹介してくれた方の仲介もあり、チームに参加させてもらえることになりました。すると、ホペイロの方が足を怪我して、僕が走り回って仕事をすることになりました」。
その時偶然、一週間後の対戦相手だったのが世界的ビッグクラブ、レアル・マドリード。“日本から来た見習いホペイロ”は、現地メディアにとっても面白い話題だった。「メディアの人がたくさん来て、日本語でいいから、なぜここにいるのか喋ってくれと言われました。オビエドの街の人の温かさや、会長への感謝を話したら、夜のTV番組で特集されたのです。それを見たサポーターなどの後押しもあり、レアル・マドリードとの試合から遠征に帯同させてもらえるようになりました」。
目まぐるしい急展開ですが、実はこの期間、たった3ヶ月。ここでたくさんの学びを得た山川さんは、スペインで実績を作り日本に帰国。FC東京に入ることになったのです。物語のようなサクセスストーリーですが、夢を追いかけ続けた山川さんの行動力が、運命を引き寄せたのです。