味の素グループの歩み

「味の素®」黎明期 広告宣伝グラフィティ

1909年に発売したうま味調味料「味の素®」。これまで世の中に存在しなかったものをいかにして普及させたのでしょうか。今回は、誰もやらなかったことを徹底的にやることで「味の素®」を広めていった、二代鈴木三郎助たちの広告宣伝の取組みを紹介します。

初の新聞広告

「味の素®」はこれまでに無い調味料であったため、商品そのものや用途、用法について消費者に説明をする必要がありました。二代三郎助と長男三郎が最も重要視したのが新聞広告です。1909年5月26日、「味の素®」の販売開始6日後には東京朝日新聞に初の新聞広告を掲載。「どうしたら家庭の主婦たちの心を捉えることができるのか?」と一字一句に注意を払い、姉妹や女中さんの意見も求めながら作り上げました。

一方、当時「味の素®」事業は赤字で、コストの高い新聞広告を頻繁に行う余裕は無かったため、乗合い馬車(後に市街電車)の中吊り広告(欄間広告)や、チンドン屋など他の方法も活用しました。アイデア豊富な三郎が考案し、新案登録まで取ったのは「地上スタンプ」。底部の平らなゴム引きの布袋に石灰を入れ、路面におろすと底部の小穴から石灰がこぼれ、「ダシノ・オヤ玉・アヂノモト」という文字が記される仕掛けです。その奇抜さから話題になり、「『味の素®』広告の地上スタンプを後から踏み消しているものがある。何者かと思ったら鰹節屋の小僧であった」と漫画雑誌に描かれたこともありました。しかし、真似するものが次々現れ、路面を汚すという理由で東京市から禁止令が出て、中止を余儀なくされました。

新案登録を受けた地上スタンプ

また、まだ珍しかった自動車を借り、東京丸の内から東海道の旧宿場町を西に下る宣伝旅行にも挑戦しました。車の両側に「味の素®」と書き、人目につく装飾をしたのが目を引き、行く先々で人垣ができましたが、名古屋で故障。地元の自転車屋に修理を頼みましたが直せるはずもなく、東京から修理工を呼ぶ羽目になりました。このような失敗もありましたが、
●看板班と称して二人一組で自動二輪車(サイドカー付き)に乗り、短冊形町名入り看板を全国に設置
●約5000個の電球をつけた動くイルミネーションや、大相撲の勝負結果の速報を本店の店頭やショーウィンドウに設置
●料理関係の催しにおける実物の宣伝や、パンフレット、レシピ本「料理相談」「四季の料理」などの発行
・・・など、二代三郎助と長男三郎の展開した宣伝広告は時代の先端を走っていました。特に新聞広告は1920年代に入るとますます活発化。キャッチフレーズを工夫し、料理や栄養に結び付けることで「味の素®」の普及に大きく貢献しました。

1920年代の乗合い馬車(後に市街電車)の中吊り広告(欄間広告)。キャッチフレーズが印象的

1926年の新聞広告。なぜか大仏様が「味の素®」をおススメ

1928年、当時は珍しい1面の新聞広告。 「いろはにほへと」で始まり、「あ」は「味の素 つかへば くろとの味」

短冊形の町名入り看板。便利なので、各地の住民に非常に好評でした