「楽しむ」ことを忘れずに

パリ2024オリンピック男子マラソンで、6位入賞を果たした赤﨑暁選手。大学卒業後、一度競技引退も考えた彼は、マラソンと出会い、その才能が開花。2025年9月のベルリンマラソンでは2時間6分15秒で大会2位に入り、世界屈指のランナーへと成長しました。「僕が日本代表になるなんて誰も思っていなかった」と話す赤﨑選手が、世界を舞台に戦う選手となった背景には、支えてくれる人々との出会い、そして“楽しく走る”という信念があります。

2024年夏、日本代表としてマラソンに臨んだ赤﨑選手。
自己ベストは出場81選手中75番目と、ダークホース的立場だったが、レースが始まると先頭集団についていく、圧巻の走りを披露。高低差の激しい難コースながら、最後は日本人五輪記録を更新し、6位入賞を果たしました。レース後「最高です!」と叫んだ彼は、大会の記憶を振り返ります。

「あの大舞台で、途中で先頭に立たせていただいたのもありますし、最後まで楽しい気持ちで走れました」

それから約1年。2025年9月のベルリンマラソンでも、赤﨑選手はさらに自己記録を更新する2時間6分15秒でフィニッシュ。日本人最高位の2位と、快挙を成し遂げました。

「今シーズン前半のトラックシーズンから良いとは言えない結果が続き、正直へこむ部分は多かった。でも、最後は得意なマラソンで結果を残せて、いい締めくくりになりました。練習面でも、今までやってきたベースが少しずつ上がってきたので、その成果だと思っています」

続けざまに記録を伸ばす赤﨑選手にとって、次なる挑戦は日本記録となる“2時間4分切り”。そのためにはカラダと技術、両面の充実が必要だと自覚しています。

「今までの練習ではダメな部分があるので、練習のベースを上げていかなければいけない。でも、強度を上げると怪我するリスクも高くなるので、ギリギリのラインを確かめながらうまく進めなければいけません。だから、リスクを負った上での挑戦になると思います」

「走っている時に使う筋肉や他の部分も補強して、うまく使えるように動きを作っていきたい。それがハマった時に、2時間4分切りができるのかなと思っています」

練習の厳しさに見合う、大きな見返りがある

今でこそ世界屈指のマラソンランナーとなった赤﨑選手ですが、本人は「僕は、そこまで速い選手ではなかった。マラソンを選び、適性があったから、ここまで来れた」と話します。

大学時代から、有力な長距離選手の一人ではありましたが、「僕が代表になるなんて誰も思ってはいなかった」と振り返る赤﨑選手。卒業後は競技から離れるつもりでしたが、初マラソンを走った時、当時の監督に「適正がある」と言われたことが、自信になりました。

だからこそ、自分のように「誰にでもチャンスがある」のが、マラソンの良さだと言います。

「自分は本当に楽しみながら走っているし、ゴールした後、旅行など遊びに行ったり好きなものが食べられたりする “ご褒美”が大きいのは醍醐味ですね。特に速い選手でもなかった僕が代表になれたように、マラソンは『誰にでもチャンスがある競技』。だからこそ、みんな挑戦してみていい。市民ランナーの方もまず走ってみれば、きっとマラソンの楽しさが見つかると思います」

最初から特別な力はなかったものの、周囲の人々の助言によってマラソンを選び、自身の強みを発見できた赤﨑選手。だからこそ、多くの人にも挑戦してみて自分にあった楽しさや喜びを見つけて欲しい。そう、赤﨑選手は願っています。