スポーツの裏側にある魅力に迫る『挑戦のそばに』。

20歳でバイク事故により右下腿部を切断、2018年から陸上短距離を始めたパラアスリートの井谷俊介選手。事故後、 “大切な人たちの笑顔を自分が奪っている”と感じて競技を始めた彼は、僅か2年でアジア記録を樹立。選手として目覚ましい成長を遂げました。しかし、最大の目標だった東京大会では、日本代表から落選。その大きな挫折は彼の考え方を見つめ直すきっかけとなりました。

いつの間にか、自分の夢しか見えなくなっていた

「競技を始めてから2020年頃までは、調子も良く、結果も出ていました。でも、コロナが蔓延して練習環境が大きく変わり、出身地の三重県に戻って一人で練習する状態が続くと、それまでの成果が、自分の中で変な自信に代わってしまった。油断して気の緩みが出たんです」

その影響もあり、2021年4月のジャパンパラ陸上競技大会ではライバルに敗れ、夢の舞台への出場は叶わず。その日の夜は眠れず、次の日からは“抜け殻状態”となりました。

「その瞬間は本当に“足を失った意味がなかったんじゃないか”と思いました。自分の人生は無意味だったのかもしれない。それぐらい、自分自身を否定するようになったんです」

しかし、それを機に今までの人生を思い返すことで、自分の“本当の目標”に気づいたのです。

「そもそも自分は、事故後に落ち込む自分を見て悲しんでいた母親や友人たちを笑顔にしたい、同じように障害を持つ人に対し、何か力になりたいと思って競技をやっていた。それなのに、いつの間にか夢の主語が全部『自分』になっていたんです。そこに気づいた時、初心に立ち返り“誰かのために頑張らないといけない”と思ったんです」

応援の熱量、高揚感、プレッシャーを感じて

自分の夢は、世界大会の先にある、“誰かの笑顔”を作ること。それを再認識して心に火がついてから、井谷選手は再スタートを切りました。

「以降は、競技への向き合い方や気持ちの部分が大きく変わって、2022~23年と成績も伸びていきました。気持ちの面・考え方・心意気で大きく変わるんだなと実感した、ここ数年です」

2022年6月には日本パラ選手権100m・200mで優勝すると、翌年2023年4月には100m日本新記録を11秒29と更新。さらに同年10月、4年ぶりに日本代表として出場したアジア大会で、200mアジア新記録で優勝しました。

完全に立ち直った井谷選手は、改めて日本代表として戦う喜び、そしてその責任を感じています。

「日本代表として世界大会に行くと、応援の熱量を感じます。みんなのために頑張りたい思いも強くなるし、気も引き締まる。高揚感やドキドキもあるし、逆に試合で勝てなかったらどうしようといった不安もあります。良くも悪くも自分を楽しませてくれる、特別なもの。パリは、より一層楽しさも、プレッシャーもいっぱい感じるはず。そんな空気を楽しみながら成果を出して、たくさんの人に喜びを届けたいと思います」

自分の使命を見つめなおした井谷選手の目は、パリ、そして、その先へも向いていました。