スポーツの舞台裏に迫る『挑戦のそばに』
身長の大きさがメリットになり得るバスケットボール。しかし、富樫勇樹選手は167㎝と小柄でありながらも、持ち前のクイックネスとシュート力で、男子日本代表にも名を連ねています。2021年には東京2020オリンピックに出場。直後に開幕したB.LEAGUE2021-2022シーズンでは所属するチームを東地区優勝へ導く原動力にもなりました。それらの道は、決して平坦なものではありませんでした。今回は、日本バスケットボール界屈指のポイントガード(司令塔)として活躍する富樫選手の、いまだ衰えることのない競技への熱い思いに迫ります。

オリンピックで得た貴重な経験
2021年8月、富樫勇樹選手は、東京2020オリンピックの舞台に立ちました。3年前におこなわれたワールドカップは、直前で負傷したため、出場を断念。東京2020オリンピックは富樫選手にとって、初めて臨む世界規模の大会だったのです。
結果は3連敗で、予選グループ敗退。しかし、そこで得られた経験は大きなものでした。
「日本にはNBA選手もいた分、期待度が高く、すごく残念に思った人もいるかもしれません。でも長くプレーしてきた選手たちにとって、世界のトップレベルで戦えたことは大きな一歩です」と、富樫選手は振り返ります。
中学卒業後、渡米・留学をした富樫選手。3年間アメリカの高校で腕を磨き、帰国後は日本でプロとしてのキャリアをスタート。その後も海外挑戦を視野に入れながら、自らのキャリアを高めていきました。
そんな富樫選手だからこそ、オリンピックの舞台はひとつの夢の実現であり、結果以上の体験を得られた大会だと言います。「オリンピックのコートに立って、さまざまなプレッシャーも含めて、やってみなければわからない感覚をたくさん得ることができました」
男子日本代表はその後、ヘッドコーチが替わり、今は2023年のワールドカップに向けて、次のステージに入っています。
もちろん、富樫選手も代表候補の一人。彼の世界への挑戦は、まだまだ終わりません。
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コロナ禍に振り回された2021-2022シーズン
一方で、オリンピック後に開幕したB.LEAGUEの2021-2022シーズンを、「すごく振り回されたシーズンでした」と富樫選手は振り返ります。
今なおコロナ禍に揺れるスポーツ界。B.LEAGUEもその例に漏れず、いくつもの試合が中止に追い込まれました。本来、予定されていたのは60試合でしたが、所属チームのレギュラーシーズンは45試合でした。15試合のマイナスはB.LEAGUEでも最多です。
「特に2022年に入ってからのそれは響きました。1・2試合をして1ヶ月が空き、日本代表活動では試合のない期間が継続。やっと試合が始まると思ったら、また中止。コンディション調整もそうですが、モチベーションを保つのもすごく大変でした」
そんな不安定な日々でも、富樫選手は「次の試合に向けて常にベストな準備をしていた」と、45試合すべてにスタメンで出場しています。
プロ選手として、コートに立ち続けることが大切。日頃からそう考える富樫選手は、怪我の予防を含めたコンディショニングを徹底し、その後の成果へと結びつけたのです。
最終的にはチャンピオンシップ(プレーオフ)のクォーターファイナルで敗れましたが、レギュラーシーズンでは東地区で堂々の優勝。「コロナ禍で例年よりも難しいシーズンでしたが、そのなかで東地区を制することができたのは、チームが苦しみながらもまとまった結果です」富樫選手は素直に地区優勝を喜びます。
自分自身のパフォーマンスについては、決して満足できる内容ではありませんでした。それでもチームの“顔”として、エースとして、持ち前の得点力だけでなく、アシストでもチームの勝利に貢献。「いいときも、悪いときもありましたけど、僕は得点だけでなく、いろんな形でチームに貢献できたと思います」
チームの勝利と自身の高いパフォーマンス。その両方を求め続ける富樫選手。コロナ禍でもコンディションを維持して、たどり着いた地区優勝は評価に値するもの。それがまた来シーズン以降にもつながる。富樫選手はそう考えています。