スポーツの舞台裏に迫る『挑戦のそばに』

直木賞作家として、人気の唯川恵さん。2003年に軽井沢へ移住してからは、山登りの魅力を実感。登山家の田部井淳子さんと出会い、彼女の小説を書こうと思った中、60歳にしてエベレスト街道トレッキングにも挑戦しました。そして得た教訓とは、「一歩ずつ進めていく大切さ」――「書くこと」と「山に登ること」の二つがあれば十分と語る唯川さんの、人生観に迫ります。

山と引きあわせてくれた愛犬の存在

恋愛小説を中心に人気を博し、2001年には『肩ごしの恋人』で直木賞を受賞。そんな小説家の唯川さんが、軽井沢に移住して来たのは2003年。愛犬への配慮がきっかけでした。 「東京に住んでいた頃に犬を飼ったんです。セントバーナード犬という、アルプスの少女ハイジに出てくるようなスイス原産の大きな犬。でも、ひと夏が過ぎてこんなに夏に弱いものかとわかり、東京で飼うのは無理だと思って最終的に行き着いたのが軽井沢でした」。
涼しくて、夏でも散歩できるところ。東京での仕事も考え、新幹線で一時間くらいで行き来できるところを探し、長野県へ移住してきた唯川さん。そして、そこで出会ったのが長野県の山々でした。でも、登山との出会いは、あまり良い記憶ではありません。
「移住して最初の小説は、軽井沢を舞台にしようと思ったんです。だから、浅間山には一度登ってみないと、という気持ちがあった。最初は、登ったというか「見物に行った」程度ですね。全然登れなかった。登山口が標高1400mくらいのところにあって、休みながら標高2000mの火山館というロッジまで行くのが限界。とても頂上まではいけず、そのときは二度と登らないと誓いました(笑)」。
それでも、唯川さんを山に向かわせた想いがありました。
「その後、愛犬が死んでしまって、“もう一度浅間山に登ってみよう”という気持ちになったんです。なんというか、つらいときって、もっとつらいことがあれば気が紛れると聞くので、自分を痛めつけたかったんです」。そのときもやはり山頂まではきつくて登れませんでしたが、それ以降、唯川さんは浅間山に出掛けるように。数回目でようやく登頂できたときの景色は、特別なものだったと言います。
「初めて頂上に立ったときは、ここに来ないと見られない景色があるんだなと思ったし、シンプルな達成感に包まれました。『やったー、私も頑張ればできる』、そんな気持ちに久しぶりになった。登るたびに本当にしんどいですよ。でも不思議なことに、また登りたくなる。喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、今度はもう少し上まで登れるかもとか、次はどんな景色が待っているんだろうとか、色々考えるとまだ次も来ようかなって思いますね」。

人生最大の挑戦、還暦での「エベレスト街道トレッキング」

そうして、登山の面白さに魅せられていった唯川さん。「人生最大の挑戦は?」と聞くと、驚く答えが返ってきました。
「本業は小説家なので、今までの自分だとは思えないような『まさかこういうものを書くなんて』というものを書くのが挑戦だと思ってたんです。でも、それは小説家として当たり前のこと。改めて考えると、還暦の年にエベレスト街道に行って標高5000mまで登った。これが自分にとって一番の挑戦だったと思います」
60歳で、経験したことのない標高に挑戦する。その決意は、並大抵のものではありません。それはひとりの女性登山家との出会いがきっかけでした。
「登ると決めたのは、田部井淳子さんとお会いしたから。田部井さんは世界で初めてエベレストに登った女性で、彼女のことを書きたいと思ったんです。それで、資料を集めて読むだけではダメだと思った。少なくともエベレストを見ること。ちょっとしか見えなかったとしても、体験したいと思ったんです。でないと、言葉で“雄大”とか“壮大”とか書いても気持ちがこもらないような気がして」
それから入念な準備が始まりました。
「行こうと決めてから1年間は、一週間のうち3日くらいは訓練のような日々でした。高度順応のため富士山にも2回登りましたね。5000mといっても、ものすごく技術がいるわけではないんです。ただひたすら街道をお風呂も入らず歩いていく。技術的に難しくはないですが、とにかく体力が必要なのと、高山病とどう戦うかがテーマでした」。
そして、ついに迎えた5000m。その苦労は、簡単に表せるほどのものではありません。
「高山病も4000mを過ぎたら、一気に来ました。まさに“最悪の二日酔い”。身体を動かしているときは肺も動いていますが、眠ると呼吸も浅くなって高山病になりやすい。なるべく一時間に一回は起きて水分を取る。4000mだったら一日4リットル飲まないといけないんですけど、なかなか飲めないですよね。でも、水を飲まないと血流が循環しないから、とにかく飲む。だけど…やっぱりうまくいきませんでした。下手をすると、肺水腫・脳浮腫になるから気を付けてと言われて――」。
様々な苦難があったものの、様々なサポートを受けて、最終的にエベレスト街道トレッキングを終えた唯川さん。その後の言葉には、体験した人間にしか感じえることのない、実感が滲み出ていました。
「やっぱり“見る”って、すごいことだなと思いました。自分が想定していた以上のものがそこにはあった。それを知らないで書くのでは、全然違うと思いました。田部井さんともお話ししたのですが、彼女はいつも『まず一歩、その一歩が次の一歩になり、頂上に近づくのだから』とおっしゃる。本当に歩くしかなかったから、すべては一歩なんだと思いました。原稿を書くときも最初の一文字から入っていく。簡単に“おいしいところだけ”は掴めない。その過程があるから、達成した価値観も変わるので、『一歩ずつ進めていくのが大事なんだ』と改めて思いました」。
小説を書くために、そこまでする。プロとしてのこだわり。それは、唯川さんだからこそ達成できた挑戦です。