長年の普及活動の結果、発展がある

――セルジオ越後さんが1972年にサッカー選手として来日されて以来47年が経ちました。日本サッカーの進歩についてどう思われますか
当時はまだJリーグもなかったから、普及活動を20年以上やって、小学生だけで約60万人にサッカーを教えてきました。その子どもたちがサッカーを好きになってくれて、Jリーガーになったり海外に行ったり日本代表になっている。以前の日本は選手の強化しかしてこなかったんです。スポーツのプロリーグを作ろうと思ったら、絶対に普及活動をしなければいけない。その効果が出ていると思っています。
――競技を好きな人を増やせば、結果的に強い選手を生むということですか
強化はフィールドに出るための対策であって、普及はスタンドを埋めるための対策。日本のスポーツは技術畑出身の人ばかりが偉くなっていく。どうすれば勝つか、どう練習すればいいのか、そればかり考えているんです。だけど、スポーツの発展は練習法じゃない。そのビジョンをもう少し持って、色々な背景を持つ人を入れたりするのが大切だと思いますね。
――コンディショニングの面でも選手の意識は変わってきましたか?
元々アイスバックスも貧乏なチームですが、アミノバイタルが今ほど有名じゃなかったころ、買って選手たちに渡したんです。すると、みんなが「毎試合アミノバイタルが欲しい」と言うようになった。当時は遠征先のドラッグストアで陳列されていたものを全部買い占める状態だったので、お店の人もびっくりしていましたね(笑)。そんな感じで、自然に選手も求めるようになりました。
――選手たちの身体への意識は、やはり結果にも表れるものですか
チームとして正式にアミノバイタルを使うようになった。すると、その年にアイスバックスが日本選手権で優勝したんですよ。アイスホッケー史の中でも、プロクラブが初優勝。今はピリオドの間にトレーナーが用意していますが、選手たちは必ずそれを摂って、次のピリオドに入っていく。やはり身体が敏感だから、すごくフィットしていますね。本当にチームとして助かっています。

スポーツは国民に貢献する仕事。だから、人を幸せにして、人を繋ぐ

――セルジオ越後さんにとって次の挑戦はなんですか?人生で成し遂げたいことなどありますか?
私は話が来たらお手伝いするのが役目だと思っています。だから、日本アンプティサッカー協会の最高顧問も頼まれて担当しています。アンプティサッカーを強くするという意味ではなく、これからの日本社会に足りない『障がい者に寄り添う、近づく文化』を作りたいと思っています。
――日本社会に足りない文化、考え方とはどのようなものですか?
アンプティサッカーは、例えば全国大会の時、運営を手伝いに高校生や大学生が来てくれます。なぜかというと、彼らが40歳くらいになったら、高齢化社会のピークが来る。その時、“アンプティサッカーの大会を手伝ったのと同じようにすればいいんだ”と思えれば、お互いの距離はかなり縮まる。そういう意識で、障がい者スポーツとの接点を増やせばいいと思っています。アメリカでは高校生が夏休みに色々な施設に行って、何回も行かなければ卒業できないらしい。日本はそういう文化がありません。
――スポーツで人を結ぶ。とても重要なテーマですね
スポーツというのは国民に貢献する仕事。だから人を幸せにしたり、人と人とを繋いだり、心身ともに健康にする。だから世界中、どこにでもあるんです。戦争中でもやるのは、スポーツと音楽ぐらいで、他にそんなものはない。運動会だって、本来は子どもをきっかけに近所の大人同士が仲良くなるためのもの。サッカーでもサポーター同士がつながって仲間ができていく。スポーツの現場は憩いの場、オアシスだから、それを発展させていくのがとても大事です。
現代では、他人に会っているようで本当の意味で会ってはいない。会わなくても生活できるようになったから、それがちょっと怖い。今後、人口が減ると少ない人数でたくさんの人を支えなければならない。でも、人口が減っても、今より自分の友達が増えたら、もっと良くなるかもしれないんです。それをアイスバックスが、栃木のスタンドで形にしている。これを全国でやれたらすごいこと。スポーツ関係を仕事として、そんなチャンスがあって声をかけられたら、僕は断る必要すらないと思っています。そういう部分で、日本に足りないものに今後も貢献できればと思っています。