interview

ベストを食せ! VICTORY TALK

走幅跳/100メートル
山本篤選手
×VPメンバー
小川智

加齢に負けない
自己管理術

加齢に負けない自己管理術

味の素㈱社員が、アスリートたちの栄養サポート行うビクトリープロジェクト®。このビクトリートークは、プロジェクトメンバーと、彼らが担当する選手によるトークセッションです。毎回、選手それぞれのカラダづくりやトレーニング、食事や栄養のアドバイスなど、普段の生活にも応用できそうな内容を盛りだくさんでお届けします。今回は、走幅跳の北京2008パラリンピック銀メダリストで、100メートル・200メートルの選手としても活躍する山本篤選手と、パラリンピックスポーツを本気で応援してやまないメンバー小川智が登場。37歳の今でも新記録にチャレンジする山本選手は、どうやって肉体やコンディションを維持し続けているのか。その秘密に迫ります。

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偶然が生んだ
義足側の踏み切り

山本さんのサポートを始めてから、約2年。当初から走幅跳のパラアスリート として、数々の記録を残して活躍していました。でも、陸上競技を始めたころは、100メートルの選手だったんですよね。走幅跳を始めたのはなぜですか?

試合や大会で遠くまで行って、100メートルを1本走って13秒で終わっちゃうと、もったいないじゃないですか(笑)。じゃあまず200メートルもやろうと。で、競技が2日間で行われるようになったときに、100メートルと200メートルが別日になった。それで「もう1種目できるな」と思って、走幅跳にエントリーしたんですよ。

最初のうちは健足(山本選手の場合は右足)で踏み切っていたんですよね。

日本の他の選手も健足で踏み切っていたので、当初は「そういうものだろう」と。記録は4メートル40センチくらいだったかな。でも大学1年生のときの記録会で、助走のときに「このままいったら絶対ファールだ」とわかって、仕方なく義足で踏み切ったんです。そうしたら5メートル20センチくらい跳べたんですよ。

偶然だったんですか!?

本当に義足側で踏み切っていいのかな、と思って2回目を跳んだら、やっぱり5メートルを超えたんです。それで「義足のほうが跳べる」と実感して、変えました。

それからどんどん記録を伸ばしていきましたよね。

常に記録更新は意識していました。ただ北京2008パラリンピックで、僕は銀メダル。1位の選手の6メートル50センチという数字を見たとき、当時は「この記録は絶対に超えられない」と思いましたね。

でも昨年、その数字を超えましたね(6メートル70センチ)。37歳で。

2年間記録を更新できず、100メートルのタイムも悪かった。陸上で「もうひと踏ん張り」できるかどうか、正直わからなかった。そんな中での日本記録の更新は、「まだいける」という確認ができた点、東京2020パラリンピックに向けて記録が上がっていく流れに合わせることができたという点で、良かったですね。

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まずは
きっちりした形
食事から

東京2020パラリンピックに向けて、今どんなルーティンで練習していますか?

月・水・金曜が走る日、火・土曜がウェイトトレーニングです。あと、火・木・土曜でなるべくプールに行きたいと思っています。プールの目的はリラックスと、腰への負担の軽減ですね。

毎日トレーニングを積み重ねて、昨年5月には日本記録も更新。37歳の今も選手として非常に強い。そんな山本さんでも、衰えを実感することはありますか。

ひと言で言えば、回復が遅いです。ですからいろんなものに頼るようになりました。酸素カプセルとか、超音波のマシンとか……ケアグッズが増えましたね。

食事も変わったんじゃないですか?

そうですね。今までは「しっかり」食べていれば大丈夫でした。でも今は「きっちりした形」で食べないと良くないですね。

「きっちりした形」の食事とは?

ご飯、味噌汁、サラダ、メイン、小鉢というのが、僕の好きなスタイルなんですよ。夕食はなるべくその形で食べたい。昼食はそうじゃなくてもいいんですけど。

そんなスタイルの食事をいつから続けているんですか?

大学生のときから続けています。学生のときは全部外食でしたが。熊取(山本選手がトレーニングの拠点としている大阪体育大学のある街)は学生の街なので定食屋さんも多いんです。

15年以上前から、今の食事のパターンができているんですね。ご結婚してからは奥様が作ってくれていますよね。

妻は相当面倒くさいと思います(笑)。それでも、食事の買い物は一緒に行くんですよ。(2歳になる)子供が一緒なので、何かと手がかかるということもありますが。

5つの輪を揃えたりとか。私たちが推奨している食事の「勝ち飯®」 メニュー通り。きっちり栄養バランスのとれた献立ですね。

メインの食材を選んで、それを照り焼きにするか、炒めるかなどの調理法を決めます。食材は牛、鶏、豚、魚を回していく感じ。魚だったら焼くのか、煮るのか、ですね。

メニューにはときどき「Cook Do®」も入るんですよね?(笑)

入ります(笑)。辛めの「麻婆豆腐用」と「麻婆茄子用」。あと、冬場は鍋も加わります。いろんな食材をバランス良くとることができるので。先日も「鍋キューブ®」 を使いましたね。

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カラダの変化は
義足が教えてくれる

カラダの変化は
義足が
教えてくれる

体重や体脂肪などのデータから「どの状態が選手のベストコンディションか」を探っていくのが私たちの仕事。でも山本さんの場合は徹底的に自己管理ができていて、1年間の体重の増減が、だいたい1キロ以内に収まっているんですよね。

もっと言えば、実は2008年から体重は1キロくらいしか変わっていないんですよ。

だからあまり我々の出番がない(笑)。契約開始から約1年間は、製品サポートとともに体重データも送ってもらっていましたが……。

そう、データの送付は先日やめちゃったんですよね(笑)。

年齢とともに代謝は落ちていきます。若い頃と同じトレーニングをしていても、同じ量を食べたら同じ体重はキープできないはずですよね。

白飯の量は、変わりましたね。学生の頃は2杯食べていたのがいつしか1杯半になり、今は普通盛りで1杯です。肉や魚で摂るたんぱく質の量は変えたくないので、必然的に炭水化物の量を減らすという方針になりますよね。ちなみに酒もほとんど飲みません。会食などで「飲んだほうがいい」と思われる場では、多少飲みますが。

やっぱり体重が増えると身体の感覚が変わるものですか?

感覚はさほど変わりませんが、体重の増減によって義足のフィット感は変わりますね。2キロの増減があると練習に支障をきたします。

感覚ではなく、義足という具体的な指標が体重の増減を教えてくれるということですね。山本さんは義肢装具士の資格を持ち、大学と大学院で「バイオメカニクス」(人体の構造やその運動を力学的に捉える学問)を研究してきている。理論的に物事を考えるんですね。体重と筋肉量が一定を保っている場合、速く走るためにいちばん重要なことは何でしょう?

「身体をどう使えば速く走れるか」を考えています。脚をどう上げるか、腕をどう振るか。短距離走はもちろん、走幅跳も速く走ることが遠くに跳ぶことにつながりますので。

競技を始めた当初に比べると義足もずいぶん進化したんじゃないですか。

膝の部分がいちばん進化しましたね。重くて固い感じだったのが、少し軽くなり、スムーズに動くようになりました。短距離走のブレードの部分は、実はそれほど大きく変わっていません。走幅跳のブレードはカーボンの量が多くなって、バネとしての働きが強くなりましたね。

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アミノ酸も
きっちり飲む

普段の食事に加えて、補食の「勝ち飯®」 メニューとして「アミノバイタル®」製品を提供させてもらっていますが、どんな風に飲んでいますか?

練習前にエネルギー系アミノ酸と「アミノバイタル®プロ」を飲んでいます。練習が終わったら回復のために「アミノバイタル®GOLD」とか。あとは疲れたときに寝る前に飲みます。

栄養サポートの契約を結ぶ前から、当然アミノ酸製品やアミノ酸サプリメントのことは知っていたんですよね。

知っていましたし、学生のときから飲んでいました。ただ今の使い方からすると、“テキトーに”飲んでいたと言っていいでしょうね。当時は「筋トレ頑張ったから飲もうかな」みたいな感じ。今は飲むタイミングが大事だということと、次の日のダメージを減らせるということを理解しました。

そこから約2年、アミノ酸を“きっちり”飲み続けているというわけですね。

次の日に疲れを残さないという意味では、睡眠も重要。学生のときは夜遊んで、寝ないで練習に行くこともありましたけど、今はしっかり寝ないとダメ。子供が生まれたことも影響していると思うのですが、僕、夜は9時に寝るんですよ。

それはかなり早い(笑)。

朝は6時起きです(笑)。

山本さんのようなアスリートに限らず、どんな人でも節制した食事と規則正しい生活が大事。あとはやはり適度な運動ですよね。年をとるとどうしても、身体を動かすのが面倒になります。

身体というのは動かせばちゃんと動くようになります。人間は何歳になっても、鍛えれば必ず筋肉はつくんです。運動はやるか、やらないかだけ。ただ、僕が一般の方より多少有利な点があるとすれば、「学生と一緒にいる」ことですね。たぶん、自分が(まだ若いと)錯覚を起こしている。気持ちの問題です。自分の先生(伊藤章名誉教授)を見ていたときも思いましたが、大学の先生って学生とずっと一緒にいるから、気持ちが若いんですよ。

学生と練習するのは山本さんにとって刺激なんですね。きっと学生にとっても、山本さんとの練習は刺激になっていると思いますよ。

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パラリンピック
スポーツの世界に
インパクトを

ご本人は陸上選手として競技に取り組んでいますが、一般の方のイメージは“走幅跳の”山本選手ですよね。

それは仕方がないです。実際、走幅跳のほうが強い(記録として上位)ので。はっきり言えば、走幅跳はビジネスライク。100メートルは好きな種目。走幅跳がないと僕はメシを食っていけないですから。

「得意」と「好き」は違うってことですね。山本さんは、どうしてプロ転向を?

僕はずっと自動車メーカーに所属して、恵まれた環境のなかで競技を続けてきました。2008年の入社当時、陸上部のある実業団でパラアスリートが活動しているケースは、まったくなかったんです。でも東京2020パラリンピック開催が決まった頃から、企業が障がい者雇用で選手を雇うケースが増えたと思います。

その頃から、パラアスリート への注目度も高まってきました。

障がい者雇用の増加自体はとても良いこと。でも僕は、もっといろんな選択肢があっていいと思ったんです。僕がプロになれば、若い選手たちに新たな選択肢を見せることができる。もうひとつは、陸上だけじゃなく本気でスノーボードをやりたいと思い始めたことが理由です。

企業にはあくまで陸上選手として所属していたから、スノーボードはやりづらかったということですか。

平昌2018冬季パラリンピックの強化選手になった時点で会社に報告したら、「スノーボードの活動も認めよう」と言ってくれたんですが。ほかの選手がどう思うかなどを考えれば、やはり迷惑をかけるだろうと自分で判断しました。

それにしても、よほどの覚悟がなければできることじゃないですよね。

第一に陸上の世界は、賞金で稼ぐことができません。賞金レースはほぼないので、ゴルフやテニスのようなプロの活動はできない。ですから基本的にはスポンサーからのお金で、自分の活動費と生活費を賄っていくことになります。

パラアスリート の数は決して少なくはありませんが、プロと名乗ることができる選手はひと握りですからね。

僕はプロとして「たくさんの人にパラリンピックスポーツを見てほしい」という思いでいます。その思いがいちばん強い。あとは常に「勝てる選手」でありたいですね。東京2020パラリンピックを機会に、もっともっとパラリンピックスポーツの知名度を上げていきたいと思っています。

東京2020パラリンピックでのプロとしてのパフォーマンス、そして良い結果を心から楽しみにしています。

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Profile

走幅跳/100メートル
山本篤選手
Atsushi Yamamoto

1982年、静岡県掛川市生まれ。陸上競技選手、スノーボード選手。2000年3月、高校2年生のときに起こしたバイク事故のため、左足を大腿部で切断。高校卒業後、義肢装具士の専門学校時代に陸上競技に出合う。2004年、大阪体育大学入学。2008年にスズキ株式会社入社。同年、北京2008パラリンピックで100メートルと走幅跳に出場し、走幅跳で銀メダルを獲得。2013年のIPC陸上競技世界選手権大会では走幅跳で金メダル、2014年のアジアパラ競技大会では100メートル、走幅跳、4×100メートルリレーで金メダルを獲得する。2015年のIPCでも走幅跳で金メダルとなり大会2連覇。2016年、日本パラ陸上競技選手権大会では6メートル56センチの世界新記録(当時)を樹立した。同年のリオデジャネイロ2016パラリンピックでは走幅跳で銀メダル、4×100メートルリレーで銅メダル。2017年にプロ転向。2018年の平昌2018パラリンピックではスノーボード(バンクドスラローム)日本代表として出場した。